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中山道六十九次
Vol.12
〜倉賀野宿→高崎宿〜
6.0km

宿場 2010年 9月18日(土)
晴
 例幣使道との追分が倉賀野宿の入口。 倉賀野宿は宿場と烏川の河岸場と一体となって栄え、各地の荷物が集まる交通の要所。 時間の都合で河岸跡に立ち寄れなかったので、浮世絵ポイントは柳瀬の渡し跡付近からの画像です。(^-^;
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とらガイドn12 倉賀野宿
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旧街道のためのマメ知識
旧街道のための人名辞典
旧街道のための歴史年表

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12:50 土道
 お伊勢の森(神明社)で10分休憩。 おらはベンチに腰掛けてボーッとしているけど、喜多さんは蝶の捕獲に余念がない。 虫網を適当にグルグルと回しているように見えるけど、網にはちゃんと蝶が入っている。(◎o◎)
 12:50お伊勢の森を出発。 『中山道分間延絵図』では中山道が神明社の北側を通っているのでこのまま土道を進み、烏川の土手である高崎伊勢崎自転車道を越える。 蝶を追って草むらに入ると、驚いたバッタがバッタバッタと飛んでいる。 …。
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12:55 自転車道
 新町宿の手前にあった勝場一里塚跡から地図で計測すると、次の一里塚:中島一里塚は、藤岡市中島か?あるいは立石で、この付近となる。 しかし、『中山道分間延絵図』には載っていない。 やはり、中島一里塚は初めからなかったのか?
 中山道に伝馬制を定めたのは慶長7年(1602)。 新町宿の前身:落合村&笛木村に伝馬役が命じられたのは慶安4年(1651)。 中山道の制定から新町宿の成立まで50年もあるので、一里塚は「古中山道」に造られていたんだろうね。 新町宿成立前の古中山道ってどこを通っていたんだろう? しかし、勝場一里塚はある。(>_<) う〜む、謎…。 これ以上のことは地元の方にお任せします。(^-^;
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13:05 土手へ
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中島の集落へ
 高崎伊勢崎自転車道の土手を下りるとK178の歩道歩き。 中島の集落に入る手前でまた自転車道の土手を上る。 ホントはもう1本先の路地が旧道だけど、入口があるだけですぐに消滅している。 自転車道に上ると空が広くて気持ちイイ〜。 サイクリングしたいね〜。(^-^;
 集落へ下る小径に手作りの「中山道」標識が倒れている。 堀田の集落にあった深緑のものと同じタイプなので、広範囲に設置されているんだね。
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13:10 また土手
 高崎伊勢崎自転車道を下って中島の集落に入ると突き当たりにぶつかり、中山道に復帰。 道なりに進むとまた突き当たり。 また深緑の「中山道」標識がある。 この丁字路は追分で、中山道は右折。 左折する道は藤岡道。 この丁字路追分が新茶屋の立場だけど、今はひっそり。
 旧道を進むと「旧中山道」の標識があり、また高崎伊勢崎自転車道にぶつかる。 自転車道に上ると烏川の河原。 往時は柳瀬の渡し川会所があった。 今は雑草がジャングルのように生い茂って、歩ける状態じゃない。
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13:20 柳瀬橋
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13:30 土手に車
 迅速測図では中島の集落からすぐ柳瀬橋が架かっているけど、現在の柳瀬橋はもう少し上流。 迂回すると柳瀬橋は鉄橋で通行は車道のみ。 歩行者は下流側の柳瀬歩道橋を渡る。 幅が広く、消えかかっているものの、白線で歩行者と自転車と区分されているので、さっきの神流川橋みたいに自転車が通る度に避けなくても大丈夫。
 対岸は再び高崎市。 土手を進むと岩鼻水位観測所。 建物の隅に割れた階段寄贈の石碑が立てかけられている。 碑に「横浜市」と刻まれているのでビックリだけど、もっとビックリなのは、車が通るので通行注意!(◎o◎) この土手って道幅が2mくらいしかないのに…。 柳瀬橋は歩行者・自転車・車両が通行区分されているので歩くのに安心だったけど、こんな狭い土手道は歩行者&自転車の専用道路にしてほしいね〜。
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13:35 観音堂
 岩鼻樋管のある場所から石段を下りると旧道復活。 旧中山道の標識が立っている。 しかし、今まで標識の英語表記が「kyu-Nakasendo」だったのに、「Old-Nakasendo」になっているのでミョ〜な感じ。
 上り坂を進むと北向子育観世音。 観音堂は彫刻が立派。 お参りすると、観音さまは半跏思惟如意輪観音。 半跏思惟像ってつい弥勒菩薩だと思っちゃうけど、膝を立ててほおづえする観音さまもあるんだね。 境内には文政3年(1820)に伊香保村と草津村から寄進された常夜灯もある。
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14:05 十割蕎麦
 坂を上りきると岩鼻町交差点。 道幅が広くなる。 新町宿を出てから食事処がなかったけど、13:40ここでやっと昼食。 ちょっと遅れ気味だけど、梅田屋岩鼻町247)で十割天せいろ1,500円。 この時間でも店は込んでいて、注文に天ぷらがあり、出てくるのに時間がかかって1時間の休憩。 会計の時に名刺の有無を尋ねたせいか?ご主人から蕎麦打ちに対する熱い思いを伺うこととなり、1時間20分の滞在になってしまった。(^-^;
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15:05 天神山
 13:00午後の部をスタート。 観音寺を横目に次の路地を入ると、寛政5年(1793)に設置された岩鼻代官所(陣屋)跡及び岩鼻県庁跡。 代官所の入口付近は岩鼻の立場で、往時は高札場もあった。 そして、明治元年(1868)旧代官所が岩鼻県庁となる。 しかし岩鼻県は短命で、3年後に群馬県に統合され、県庁は高崎城内に移された。
 跡地にポツンと天神山。 小高い山の上は天満宮で、眺めがイイ。 広い跡地は現在日本化薬屋の敷地で、社宅が何棟も建っている。
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15:10 蛇行跡
 旧道に戻ると旧道の蛇行跡が残っていて、「Old」表記の「旧中山道」標識が立っている。 車道と合流すると、定規で直線を引いたような真っ直ぐな道。 新柳瀬橋北交差点に、今度は「kyu」表記の「旧中山道」標識が立っている。 ここからK121となり、工場やパチンコ屋が建ち並ぶ。 味気ない歩道歩き。 高崎線の跨線橋からは妙義山が見える。
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15:35 追分
 しばらくすると、また蛇行跡。 K121に合流すると、三叉路の下町交差点。 例幣使道との倉賀野追分で、中山道と例幣使道に挟まれ、閻魔堂&市指定史跡例幣使街道の常夜灯及び道しるべが建っている。 文化11年(1814)製の常夜灯は道標を兼ねていて、正面に「日光道」、右面に「中山道」と刻まれている。 道しるべは「従是 右江戸道、左日光道」と刻まれている。 造立年は分からないけど、文化3年(1806)完成の『中山道分間延絵図』に道印が描かれているので、この道標なんだろうね。 この追分が倉賀野宿の入口で、下の木戸跡でもある。
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15:40 大山邸
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矢島邸
 倉賀野宿に入ると、まずはたかさき都市景観賞の大山邸。 母屋が昭和9年(1934)の築造というので新しいけど、宿場らしい風景。 続いて卯建が立派な矢島邸。 こちらも宿場の建物らしくてイイ感じ。 音楽教室の前に、小栗上野介忠順公と埋蔵金ゆかりの地なんてが建っている。 これは何?
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塩最中
 右手に明治36年(1903)創業の丁子堂 房右衛門(倉賀野町2006)。 軒先に「塩大福」の暖簾を掲げている。 代表銘菓は河岸最中で、倉賀野宿に河岸があったことで名付けられた。 高崎にキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!ということで、達磨の形をしている塩最中と河岸最中をお買い物。 塩最中は帰りの電車でいただき、河岸最中はお土産となりました。
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16:00 大山邸
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道路元標
 2軒目となるたかさき都市景観賞の大山邸。 今度の大山邸は、さすが“倉”賀野らしく?蔵のような造り。 左側の壁がなまこ壁になっている。
 中町交差点に倉賀野町道路元標。 この交差点を左折すると、共栄橋のたもとに倉賀野河岸跡碑があるんだけど、距離が離れているみたい。 残念ながら、時間が押しているのでパス。 倉賀野は宿場と河岸場が一体となって栄えた宿場なんだけど…。(>_<)
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勅使河原本陣跡
 ベイシアマート屋の駐車場に、ポツンと本陣跡。 勅使河原本陣の跡で、ベイシアの敷地=本陣の敷地なんだろうね。 広〜い。
 さっき通り過ぎた中町交差点を左折して、共栄橋のたもとに河岸跡碑があると言ったけど、ホントはベイシアの角にある路地が河岸場の入口。 往時は八幡宮の鳥居が建ち、井戸八幡宮の前を通る道が中山道と河岸場を結ぶ道だった。
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16:05 碑
 倉賀野駅入口交差点の倉賀野仲町山車倉前に中町御伝馬人馬継立場跡。 漢字ばかりで何だろう?と思ったら、中町問屋場跡だ。 倉賀野宿は、問屋場が下町・中町・上町に1軒ずつ、計3軒もあって、それぞれ10日交代で問屋を務めていた。 もう過ぎちゃったけど、下町の継立場跡碑ってあったのかな? 気がつかなかった。 中町の継立場跡碑は旧道の左側にあるけど、『中山道分間延絵図』では問屋場は右側にある。 右側は交差点で道路があるので、碑が建てられなかったんだろうね。
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喜太郎脇本陣
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庄兵衛脇本陣
 2階建てで卯建のある格子戸の民家が脇本陣跡。 河岸問屋も営んだ須賀喜太郎脇本陣で、明治前半の建物。 3軒目のたかさき都市景観賞。 はす向かいの洋風の民家も脇本陣跡で、須賀庄兵衛脇本陣
 須賀喜太郎脇本陣跡の並びに高札場跡。 往時は高札場から天王社を挟んで上町の問屋場があったけど、残念ながら、上町御伝馬人馬継立場跡ってな碑はない。 中町問屋場跡だけじゃなく、倉賀野宿にはぜひ下町・中町・上町の継立場跡碑を揃えてほしいな。
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16:15 総鎮守
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本殿
 丁字路に倉賀野神社の石標。 お参りすると、拝殿に「倉賀野神社」&「飯玉大明神」2枚の扁額が並んでいる。 往時は飯玉大明神だったのが、明治10年(1877)に大国魂神社と改称し、明治43年(1910)に近隣の数社を合祀して倉賀野神社と改称した。 当社の歴史は古く、大同2年(807坂上田村麻呂が東征凱旋の途中に造営舞楽を奏上したそうで、その故事に由来する翁面が社宝となっている。 田村麻呂は東海道ではたびたび登場していたけど、中山道では初めて。
 13年かけて慶応2年(1866)に完成した本殿の彫刻は見事で、市指定文化財。 大工の日記によると、本殿造営中の文久元年(1861)11月に和宮の行列が倉賀野宿を通るため、3日間工事が休みになった。 もう16時を過ぎていたので御朱印はあきらめていたけど、宮司さんが草むしりをしていたので、いただけた。\(^-^)/
 さらに路地を奥に入った雁児童公園に倉賀野城跡があるんだけど、時間が押しているのでパス。 倉賀野神社で20分も滞在したので…。(^-^;
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16:40 異形板碑
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安楽寺古墳
 倉賀野神社を過ぎると名前のない交差点が上の木戸跡。 そして、安楽寺。 境内に入るとまずは異形板碑。 南北朝以降に造られたもので、市指定史跡。 境内の奥には県指定史跡安楽寺古墳。 7世紀末頃に造られた円墳で、墳丘に本堂が食い込んでいる。(◎o◎) 石室には鎌倉時代に彫られた仏像が7体あり、七仏薬師と呼ばれ、当山の本尊となっている。 秘仏だけど、12年に一度、巳年に開帳しているそうで、次のご開帳は平成25年(2013)。 帰り際、寺の人に呼び止められ、七仏薬師の写真があるというので、見せていただきました。 そんなこんなで、安楽寺でも20分滞在しちゃった…。(^-^;
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17:05 この辺り
 もう日差しが寂しくなってきた。 今日の日の入りは17:49なので、急がなくちゃ。 上町西交差点を過ぎた辺りが倉賀野一里塚跡だけど、何もない。 一里塚を過ぎると往時は杉並木で、迅速測図でも並木になっている。 K121拡張のため片側だけになって、その後枯れたため、伐採して新しく松を植えたそうだ。 中山道では一応初めての松並木なので、立派な松並木に育ってほしいね〜。
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17:15 古墳
 左にモッコリとした森が近づいてくる。 国指定史跡浅間山古墳で、群馬県内では太田市の天神山古墳に次いで、2番目の大きさの前方後円墳。 4世紀後半に造られたそうなので、かなり古い。 安楽寺にも古墳があったけど、この付近には古墳が多い。 この地は古代から暮らしやすかったということなんだね。 しかし、どこに案内板があるのかな? 探すのはあきらめて、ガスト茶屋のPで古墳を撮影。 あとは脇目もふらず、てくてくてくてく。
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17:40 地蔵堂
 高崎粕沢橋郵便局付近が粕沢の立場跡だけど、もう薄暗くなっているので、てくてくてくてく。 R17の高架をくぐった辺りが新田の立場跡だけど、薄暗いので、てくてくてくてく…と言いながら、新後閑町交差点の手前で寄り道。 古ぼけた看板がイイ味出してる宮川博商店屋角の路地を入る。 琴平神社の参道で、五叉路に子育地蔵堂。 お堂に秩父道藤岡道道標が置かれている。 元は中山道にあったもので、「これよりみぎ ちゝぶみち/ふぢおかみち」と刻まれている。 お堂の前の道が秩父道&藤岡道で、南下すると佐野の渡し跡に出る。
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17:50 終点手前
 上越新幹線の高架をくぐると、車のライトが点灯している! 上信電鉄線の踏切は「踏切番号1」となっているけど、「中仙道」ってな手書きの札が掛かっている。 中山道の標柱は宿場の距離がなくなって、「高崎宿」だけになっているので、もう高崎宿。 レトロな雰囲気の街並みがイイ感じ。 てくてく歩いて、17:55新田町交差点で今日の旅を終える。 ホントは次のあら町交差点で終えて、頼政神社・高崎城跡・豊田屋旅館を見学したかったけど、もう時間切れ。 ちょうど高崎駅18:15発の湘南新宿ラインがあるので、これに乗って帰ろう。 走れ!走れ!(^-^;
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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間) 5時間05分(3時間45分)
今日1日の所要時間(休憩除いた正味時間) 9時間00分(7時間10分)
万歩計®の歩数(今日1日の歩数) 16,195歩(31,138歩)
喜多さんの歩数(今日1日の歩数) 15,976歩(29,161歩)
寄り道含めたGPSの距離(今日1日の距離) 12.27km(23.71km)
経費(新町宿〜倉賀野宿分交通費含む)
往路:JR湘南新宿ライン 戸塚駅→熊谷駅「ホリデー・パス」
往路:JR高崎線 熊谷駅→神保原駅
(戸塚駅→深谷駅普通運賃)
2,300円
480円
(2,210円)
帰路:JR高崎線 高崎駅→熊谷駅
帰路:JR湘南新宿ライン 熊谷駅→戸塚駅
(高崎駅→戸塚駅普通運賃)
グリーン料金
740円
フリーパスのため0円
(2,520円)
750円
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