バナー
中山道六十九次
Vol.09
〜深谷宿→本庄宿〜
10.5km

宿場 2010年 6月26日(土)
曇
 宿場の浮世絵は郊外の景色が続いていたけど、英泉は初めて宿場内の様子を描いています。 飯盛女が通りを闊歩して艶っぽい。 飯盛女を置かなかった熊谷宿は旅籠が19軒だけだったけど、深谷宿は80軒! さぞ賑やかだったでしょうね。
画像00
とらガイドn09 深谷宿
とらガイド⇔reverse版

旧街道のためのマメ知識
旧街道のための人名辞典
旧街道のための歴史年表

サムネイルにカーソルを合わせると大きい画像が表示されます。

画像01
深谷駅
画像02
渋沢栄一像
 中山道歩きの6日目。 深谷駅に到着。 やっぱり気になるのは, 深谷駅のレトロな駅舎。 関東の駅百選に選定されている。 東京駅に深谷産の煉瓦が使用されているということで、平成8年(1996)東京駅を模して改築された。 戸塚駅は駅舎が貧弱なのでうらやましいね〜。 しかし、しみじみと駅舎を眺めていたら、煉瓦造りじゃないのでビックリ!(◎o◎) 煉瓦では耐震性に問題があって、煉瓦風のタイルが使用されているそうだ。
 東京駅に煉瓦を供給した煉瓦工場は日本煉瓦製造で、深谷市血洗島出身の渋沢栄一が中心となって設立された。 “日本資本主義の父”と呼ばれるだけに、深谷駅のホームにデッカく「渋沢栄一生誕の地」とある。 郷土の誇り。 深谷駅北口に渋沢栄一像が建っている。
画像03
松平康直墓
 出発の前に前回寄れなかった場所に寄り道。 スタート地点の仲町交差点を北上して、十字路を右折…なんだけど、ちょっとその前に、さらに寄り道で左折。(^-^; 文化8年(1811)創業の老舗菊寿童があるんだけど、げ!臨時休業だって! こちらで酒まんじゅうを買って、深谷城跡あたりでお八つにしようと思っていたのに…ガクッ。
 仕方がないので引き返して、十字路を真っ直ぐ進んで三高院。 松平康直があるはずだけど場所が分からず、寺の人に尋ねてやっと墓の写真が撮れた。 市指定史跡。
画像04
深谷城跡
 城址公園入口交差点にたどり着くと、何故か?笛を吹く武者像が建っている。 深谷市制40周年記念に深谷城大手口に建てたもの。 誰がモデルなの? 北上すると深谷城址公園。 国済寺に墓があった深谷上杉氏の祖:上杉憲英の曾孫:上杉房憲が康正2年(1456)に築いた深谷城跡で、園内に芝生広場や花壇などがあり、市民の憩いの場となっている。
画像05
堀の跡
 隣接する富士浅間神社は深谷城内に鎮守として祀られた五社の1つで、永享12年(1440)に勧請された。 明治以前は智形神社と呼ばれたそうだけど、「ちかた」といえば、熊谷宿に退治した熊の血が流れてきたので、千形(血形)神社と名付けられた神社があった。 深谷では何の血が流れてきたのかな? 神社の周りの池や水路は深谷城外濠跡で、市指定史跡。
画像06
09:50 元蔵
 スタート前の寄り道に満足して仲町交差点。 交差点の角にある深谷市道路元標を横目に、9:45出発。 車の交通量は多いけど歩道はない。
 右手の路地に3階建ての蔵が! 1階が煉瓦だけど、2〜3階がトタンなので惜しい。 土壁だったら指定文化財になったかも? しかし、現在は蔵として使われておらず、深谷れんがホールとして地元のNPOによって運営され、多目的スペースとして貸し出されている。
画像07
09:55 元蔵元
 飯島印刷所屋に案内板。 飯島本陣の跡。 宝暦2年(1752)より田中家から本陣職を引き継ぎ、明治3年(1870)まで6代に渡って本陣職を務めた。 上段の間&次の間が残っている。
 雰囲気のイイ蔵と格子戸のある日本家屋に深谷シネマの幟がパタパタ。 NPOが運営している映画館で、映画は奥の蔵で上映されているそうだ。 建物は江戸時代に創業した七ッ梅酒造跡で、廃業しても古い建物が残っているのがありがたいことです。
画像08
10:00 製菓店
 さっき菊寿童が休みでお八つを買えなかったけど、その代わり?明治41年(1908)創業の糸屋製菓店(深谷町8-5)屋で翁最中とあんドーナツを購入。 趣のある店舗は昭和3年(1928)に建てられたもの。 店内のレイアウトは昔のままのようで狭いけど、黒光りした柱がイイ味出している。
画像09
10:10 坂本家
 深谷宿は煉瓦造りの建物が目立つけど、格子戸のある坂本家住宅が宿場らしくてイイ感じ。 宿場らしいといっても、宿場の家並みはフツー間口が狭いものだけど、こちらは以前質屋を経営していたそうで、間口が広い。 建物は明治のはじめに建てられたもの。
 並びに滝澤酒造。 文久3年(1863)に現在の小川町で創業し、明治30年代に深谷に引っ越してきた。 こちらはまだ現役の蔵元で、煉瓦造りの煙突や酒蔵がイイね。
画像10
上方常夜燈
 いよいよ深谷宿の西のはずれとなり、市指定文化財旧深谷宿常夜燈。 これで深谷宿はおしまいだけど、レトロな街並みが堪能できた。\(^-^)/ ここがてっしーの浮世絵ポイント@深谷宿の上方常夜燈で、高さ4mもある。 おらの浮世絵ポイント@深谷宿は江戸方常夜燈(↑TOPの画像)で明治期に建てられたものだけど、こちらは天保11年(1840)製。
画像11
10:25 供養塔
 次の立ち寄り場所は清心寺。 常夜燈の向かいの路地を進むんだと思ったら行き止まり…ガクッ。 気を取り直して県道を進むと、丁字路に清心寺の標柱がある。 さっそく墓地に向かうものの、またもお目当ての場所が分からない。(◎o◎) あきらめて帰ろうとしたら、市指定史跡平忠度供養塔が山門の横に…ガクッ。 石柱に「平忠度公墓」とあるけど、ホントは供養塚。 元暦元年(1184)の一ノ谷の戦いで忠度を討った岡部忠澄が後に建てたもの。 板東武者って無骨で荒々しいイメージがあるけど、同じ一ノ谷の戦いで平敦盛を討った熊谷直実のように出家しないまでも、何か思うところがあったんだね。
画像12
10:40 瀧宮神社
画像13
翁最中
 宿根交差点でR17を横断すると宿根総鎮守瀧宮神社。 祭の準備のようで、足場を組んで提灯台を設置している。 鳥居の横に屋根付きのベンチがあるので、ちょっと時間が早いけど、糸屋製菓店屋で買った翁最中とあんドーナツをお八つに20分休憩。 甘゛い゛っ゛!
 蛇行する旧道を進んでR17に合流。 この付近から旧岡部町で、しばらく歩道歩き。 道端に「関東一の漬物名産地」ってな看板が! おらはあまり漬物を食べないので知らなかったけど、県下一ではなくて関東一ならスゴいことだ。 しかし、旧岡部町にとって、漬物を食べないおらってうツケ者? …。
画像14
11:15 御車跡
 沿道に建つ蔵を眺めながら進むと右手に源勝院。 岡部藩主安部家の菩提寺で、岡部藩主歴代の墓安部大蔵君が市指定史跡になっている。 しかし、山門の前にデッカい明治天皇の石碑があるけど、達筆すぎて「明治天皇」から下が読めない…。(^-^; 深谷市教育委員会に問い合わせたら、「明治天皇みくるまのあと」で、碑表の書は渋沢栄一が揮毫したもの。 へぇ、ひらがな? ビックリして変体仮名の字母を当てはめてみたら、「明治天皇美久留満乃安登」だった。 う〜む、読めないわけだ。 由緒ある寺院ということで、明治11年(1878)北陸東海巡幸の際に休憩所になったんだね。
画像15
11:25 幽囚の地
 岡部北交差点に「史跡 高島秋帆幽囚地入口」の石標が! 寄り道すると、畑に県指定旧跡岡部藩陣屋跡がポツン。 しかし、旧岡部町の案内板には「高島秋帆幽囚の地」となっている。 秋帆の砲術が幕府や諸藩に採用されたけど、讒言によって捕らえられ、弘化3年(1846)から7年間岡部藩に預けられた。 なるほど、秋帆が囚われの身にならなければ、岡部藩陣屋跡が「県」の旧跡にはならなかったかも?
 岡部神社はスルーの予定だったけど、鳥居が木製で屋根まで付いているので、鳥居だけ見学。 扁額がネットで保護されているけど、立派なものなのかな?
画像16
11:50 六弥太墓
 R17にキロポストがあって、東京から80kmだって。 遠くまで来たものだ。 普済寺交差点の手前に普済寺。 岡部忠澄が開基らしいけど、案内板はない。 寺号が交差点名どころか大字にもなっている寺院なのに謎。
 普済寺からR17と交差するK355を進むと、畑の中にポツンと県指定史跡岡部六弥太墓。 「ポツン」といっても屋根が付いているので目立つ。 建久8年(1197)に没した岡部忠澄の墓で、五輪塔が1.8mもある。 とにかくデカい。 何故か?忠澄の墓石の粉を煎じて飲むと子宝に恵まれるという言い伝えがあるそうで、丸い部分の水輪が削られて凸凹になっている。
画像17
12:05 右へ
 秩父に本社がある寶登山神社を横目に右に旧道。 旧道がR17と分かれる手前に風張の立場があった。 明治天皇が源勝院で休憩しているくらいなので、この立場はあまり流行っていなかったのかな?
 又の所に大きな木が立っているので、お!一里塚の跡か?と思ったら、もう少し先で、小川と島護産泰神社の間が岡下一里塚跡。 しかし、遺構も案内板もない。 『中山道分間延絵図』をよく見たら、この一里塚には“竹”が植えられていたそうで、そんな珍しい一里塚なら見てみたかったな〜。
画像18
12:15 絵馬
 岡下一里塚跡を過ぎると島護産泰神社。 社号の「島護」とは、深谷市北部にある南西島・北西島・大塚島・内ヶ島・高島・矢島・血洗島・伊勢島など、「島」の地名をもつ地域から川の氾濫から護ること。 「産泰」とは安産のことで、祭神の瓊々杵尊木之花咲夜姫命(木花咲耶姫)は夫婦神だ。 う〜む、木花咲耶姫といえば浅間神社の祭神なので、島護産泰神社って元は浅間神社で、ここから富士山が見えるのかな? フツー社殿には扁額が掲げられているけど、こちらでは絵馬が掲げられているので珍しい。 春・夏・秋のそれぞれに奉納される岡の里神楽岡下屋台囃子岡の獅子舞が深谷市の無形民俗文化財に指定されている。
 K259を横切るとセンターラインがなくなって、一段と旧道らしくなる。 二叉。 又の所に馬頭観音。 ありゃ、お目当ての神社に寄り損なっちゃった。(^-^; その前に丸屋商店屋の自販機でPET飲料を購入。
画像19
12:30 本殿裏
 二叉の手前にある丁字路を曲がるはずだったのに、二叉の横の路地に入ってお目当ての岡廼宮神社へ。 途中、2月に建ったばかりの武州榛澤郡黒田藩岡村陣屋畧景の石標がある。 さっき岡部藩陣屋跡に寄ったけど、こんな近くに別の藩がある。 裏口?から岡廼宮神社に入ると、本殿の彫刻が立派。 さっきの島護産泰神社のように、岡下屋台囃子岡の獅子舞が市指定無形民俗文化財となっている。 境内で10分休憩。
 馬頭観音のある二叉に戻る。 二叉といっても左の道が旧道で、旧道らしく真っ直ぐな道なんだけど、2つめの丁字路で右折。 旧道って基本的に真っ直ぐなのに、宿場でも城下町でもないこの場所で、唐突に右折して迷子になりそう。(^-^; しかし、民家のブロック塀に「百庚申100m中山道」という標識があるので、ありがたいことです。 右折する手前が高札場跡
画像20
12:45 百庚申
 坂の途中に市指定史跡百庚申と、その上に八坂神社。 百庚申は万延元年(1860)の庚申の年から2年かけて、旧岡村の有志13人によって建立された。 万延元年は桜田門外の変が起きた年で、黒船来航から明治維新まで国内がてんやわんやの大騒ぎだった時代。 国内情勢が不安で、神仏に頼りたい気持ちが大。 今の日本も将来が不安なので、気持ち分かるな〜。
画像21
12:50 滝岡橋
 旧道はR17(深谷バイパス)から消滅。 田んぼの中を進んで小山川を渡る。 元々の旧道は小山川の手前で左に折れ、針ヶ谷排水路を渡ってから小山川を渡るんだけど、今はムリなので、昭和3年(1928)に小山川に架けられた滝岡橋を渡る。 滝岡橋は国登録有形文化財で、記念碑として橋のたもとにふる里の橋顕彰碑が建っている。 親柱&欄干は花崗岩で、橋台は煉瓦造り。 なかなか趣があるね〜。
画像22
12:55 堀田の集落
 滝岡橋を渡ると本庄市となり、左折して土手を進む。 送電線の鉄塔がやたら多くて、初めて見るような高い鉄塔がある。 土手から下りると旧道に復帰して、堀田の集落。 小山川を渡ったところに堀田の立場があったので、この付近なんだろうね。 車道と合流するところに「中山道」と書かれた緑色の手作り標識が立っている。 ありがたいことです。
画像23
13:10 迂回路
 堀田の集落を抜けると今度は畑の中を進む。 車道が右カーブするけど、真っ直ぐ進む廃道?に「この先通り抜けできません 本庄市」の標識。 通り抜けできない方でイイのかな?と悩んでいたら、ガードレールの足下にまた手作りの「中山道」標識。 ありがたいことです。
 廃道?を真っ直ぐ進むと、この先は通行止めのようで、迂回路を進むように標識がある。 何も考えずに迂回して、K45をくぐって階段を上る。 旧道に復帰すると、ひっそりと嘉永5年(1852)製の無縁供養塔。 中山道を振り返るとK45の柵が途切れている。 う〜む、車の交通量が少ないことを考えると、迂回しない方がヨカッタ…ガクッ。
画像24
13:20 八幡宮
画像25
宝珠寺
 牧西の集落に入ると左手に八幡大神社。 案内板に「建久年間(1195)に児玉党の一族・牧西四郎広末が(中略)相州鎌倉鶴岡八幡宮を奉遷して当所に祭った…」とある。 しかし、1195年と具体的な西暦を書いているのに、「年間」って…。 やはり、ここは「建久6年」とするべきだろう。 そして、牧西広末は牧西弘季のことだけど、案内板を業者に発注する時に、原稿の段階で「弘季(ひろすえ)」を広末と誤変換したんだろうね。 最後に、「奉遷」だと祭神が引っ越してきたみたいなので、分祀 or 分霊、あるいは勧請のほうがイイと思う。 この案内板っていったい…。 これはホントだと思うけど、当社奉納の金鑚神楽宮崎組が市指定無形文化財となっている。
 向かいは宝珠寺で、参道の並木が美しい。 赤い仁王門が立派。 仁王門と明和6年(1769)製の仁王尊像は最近解体修復工事をしたそうで、結構キレイ。 境内に郷土かるた:ほんじょうかるたの石碑が建ち、「野の花をにらむ宝珠寺仁王様」と刻まれている。
画像26
13:35 立場?
 八幡大神社・宝珠寺を過ぎると牧西の立場。 壁が剥がれ落ちた長屋門や、その向かいに郵便局があるので、この付近なのかな? 十返舎一九が『諸国道中金の草鞋』で「もくさいといふたてば、きれいなるちゃやあり、したくするによし」と褒めているので、人気のある立場だったんだね。
画像27
13:50 傍示堂
 牧西の集落を抜けると左カーブに子育地蔵石仏群。 近隣から寄せ集められたにしても、おびただしい数。
 旧道はしばらくするとほとんど直角に左カーブする。 その角に傍示堂集落センターがあり、2基の祠が鎮座している。 左は八坂神社で右が古峯神社。 傍示堂って地名にもなっているくらいなので、立派なお堂が建っているのかと思っていたけど、祠だけの神社しかない。 ここから西に延びる路地は五料宿・前橋宿などを通り、越後国へ達する三国街道。 この中山道との追分橋端の立場があった。 堀田の立場からここまで、3qほどの距離に立場が3ヶ所もある。
 新泉橋を渡って六助うどん(傍示堂575)茶屋で遅い昼食。 謎の?傍示堂を終点にすればイイのに、13:55食事処で深谷宿の旅は終わり。 あ〜、腹減った〜。(^-^;
ΔTOP

おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間) 4時間10分(3時間40分)
万歩計®の歩数 18,075歩
喜多さんの歩数 17,500歩
寄り道含めたGPSの距離 13.55km
<<前のページに戻るΔTOP

Vol.08 熊谷宿 2010 1日中、山道。 MENU Vol.10 本庄宿

Copyright (C) 2010 TORAZOU, All Right Reserved.