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Vol.04 大宮宿上尾宿

(7.9km)


英泉「大宮宿 冨士遠景」 宿場

2010年 4月 3日(土)

 県庁所在地のある浦和宿に比べると、店屋・茶屋がギッシリと建ち並ぶ大宮宿はすこぶる賑やか。大宮宿といえば氷川神社が宿場の顔と思うけど、英泉は大宮宿の郊外を描いています。今では建物が密集しているけど、富士山は見えるのかな?
浮世絵ポイント 画像00

 バスターミナルのベンチで10分休憩して、11:20いざ出発。復活したケヤキ並木の中に「旧中山道」の標識。道路の端っこの歩道じゃなくて、たまには道路の真ん中を堂々と歩いてみたいなぁ。
画像01 11:25 氷川神社一の鳥居 この長〜い参道はいつか歩いてみたいな〜
 武蔵国一宮氷川神社一の鳥居。2kmもあるというケヤキ並木の参道は古中山道で、寛永5年(1628)関東郡代伊奈忠治によって現在のルートに付け替えられ、大宮宿ごと移転した。「古中山道」ってな響きにそそられて、長〜い参道の方を歩いてみたいけど、今日は旧道歩きなので県道164号の方を進む。
 そして、浦和橋の手前にあった浦和一里塚から地図で計測すると、氷川神社一の鳥居を過ぎた辺りが大宮一里塚跡。しかし、『中山道分間延絵図』には大宮一里塚が載っていない…。何故だー???
 吉敷町交差点を渡ると、電柱と車止めの間に挟まれた安藤橋碑。小っちゃいので見過ごしちゃうかも。
画像02 11:35 塩地蔵尊(奥)&子育地蔵尊(手前)
画像03 モザイク画の子育地蔵尊
画像04 11:45 涙橋跡
 右手の路地を入ると、塩地蔵尊子育地蔵尊。ビルの谷間にひっそりとあるので気がつかないで通り過ぎようとしたけど、歩道に案内板を兼ねたオブジェ?があるので気がついた。ありがたいことです。しかし、子育地蔵がモザイク画で描かれているので、お地蔵さまの絵なのに、どうしてもキリスト教の宗教画みたいに見える…。
 左手の傾いている民家を横目に進むと、右手に涙橋跡。橋桁の枠石が飾ってある。都会ではどんどん川が埋められてしまうんだね。
画像05 12:05 半チャーハン+ラーメン
 高島屋のロゴマークがどんどん近づいてくる。(´-`).。oO(…ってゆーか、おらが近づいているっちゅーの…)そろそろお昼なので、高島屋の手前で昼食ということに。路地を入ると食堂多万里茶屋。昼前に着いたのに、行列の2組目!(◎o◎) 店内は昭和な雰囲気で、イス&テーブルの感じが懐かしい〜。おすすめセットの半チャーハン+ラーメン850円を注文。店を出るまでずっと満席だったので人気の店なんだね〜。ホントは大宮駅近くにある明治時代創業の鰻屋:山家にしたかったんだけど、喜多さんに2回連続で鰻は勘弁してほしいと泣かれたので、パスとなりました。(T-T)
 35分の昼食で、12:25午後の部をスタート。ところで、高島屋大宮店は北澤本陣跡だけど、案内板はない。入口を覗くと「中山道口」と書いてあるので、街道歩きの旅人としてはちょっとウレシい。
画像06 12:25 北澤本陣跡の高島屋大宮店 奥にあるのは大宮駅
 時間帯が違うので単純に比較できないけど、今日の出発地点:浦和宿と比べると、大宮宿は圧倒的に人通りが多い。県庁所在地の浦和宿はちょっと地味な感じがするけど、商店・飲食店が建ち並ぶ大宮宿は商業地区ですこぶる賑やか。そして、浦和にはJリーグの浦和レッズがあるけど、大宮には大宮アルディージャがあるので、いつでも何でも比較されちゃうんだろうね。
画像07 12:50 モッコリと土手町の椎の木
 大宮駅前の交差点を渡って何の気なしにすずらん通りに入ると、居酒屋次郎茶屋の前に「旅籠屋の由来 本陣跡」ってな案内板。これって何? 大栄橋交差点の左手に御影堂。しかし、入口が閉まっている…。(>_<)
 そろそろ東光寺だろうと、名前のない交差点を右折したら、て…寺の入口がない! 塀の中をのぞくと墓地なので、行き過ぎてしまった…ガクッ。戻るのも何なので、このままパス。渋滞を眺めながら進むと、モッコリと土手町の椎の木
 名前のない交差点でやっと氷川神社裏参道古中山道。氷川神社に向かうと、ちょっと小っちゃめの鳥居があるけど、鳥居と桜が青空に映えるね〜。境内に入ると、思いがけずスゴく込んでいる。今日って正月?と錯覚しちゃうけど、新年度で考えると、まだ三が日だね(笑)。
画像08 13:05 氷川神社楼門
画像09 氷川神社拝殿は行列
 しかし、こんなところで御朱印の文句を言うのも何だけど、氷川神社は一宮&旧官幣大社で格式が高い神社なのに、筆ペン…ガクッ。朝立ち寄った調神社では、御朱印をお願いしたらさっそく墨を擦り始めてくれたというのに…。氷川神社が普段から御朱印を筆ペンで書いているとは思えないので、ハズレの方に当たってしまったのかな? おらは神社が好きで御朱印をいただいて喜んでいるけど、信仰心はありません。今流行っているスピリチュアリティも感じません。神社だってサービス業なんだから、客に対してサービスのムラがないように、神社に従事する方には、ぜひ毛筆を習ってほしいね〜。
 御朱印集めが顕わな楽しみになったことだし、初日の神田明神、2日目の和樂備神社、今朝の調神社、そして氷川神社の御朱印を比べてみよう〜。神社名↑にカーソルを合わせると、それぞれの御朱印が表示されます。しかし、↑で「サービスのムラがないように」といっても、おみくじを全て大吉にしろ!ということではありません(笑)。
画像10 13:20 人人人の大宮公園
画像11 青木昆陽之碑
 氷川神社の裏が大宮公園なので散策…と思ったら、桜が満開で、花見客がいっぱい。これで人が多かったんだね。氷川神社が桜の名所と知っていたら、ブルーシートを持ってきて昼食は屋台の粉系でもヨカッタな〜。女子トイレの行列はコンサートや高速のSAなどで見慣れているけど、男子トイレも行列で大変!(◎o◎) 雑踏の中に青木昆陽之碑。埼玉県の特産品となったサツマイモの栽培を普及させ、県民の生活が閏うように努力した業績が称えられた。
 せっかく桜が満開なので、缶コーヒーを買って、桜を愛でながら10分ほどホッと一息。午前中は寒かったけど、午後になったら晴れてきて、暖かくなった。
 旧道に戻って東北本線の第2仲仙道ガードをくぐる。板橋宿の仲仙道踏切以来、2カ所目の「仲仙道」だけど、中山道が開削されて東北本線をくぐる前は、「第二仲仙道踏切」だったんだよね?
画像12 13:50 ココス茶屋の大山御嶽山道標
 北区となる。大宮郵便局北交差点にあるココス茶屋の駐車場の出入口に安政7年(1860)製の大山御嶽山道標(安政7年の道しるべ)。中山道では板橋宿浦和宿に続く3つ目の大山道道標で、「大山 御嶽山 よの/引また/かわ越 道」と刻まれている。往時は隣の赤柴魚店屋との間に古道があり、JRの線路を越えた大成(おおなり)町2丁目にある普門院の東側を通って、与野へと続いていたそうだ。へ〜、古道が消えてしまっても道標が残っているなんて素晴らしい!\(^-^)/ ちなみに、さらに与野から羽根倉の渡しで荒川を越えて、引又(志木)に出れば、浦和宿からの府中通り大山道と合流する。
画像13 13:55 住宅地にポツンと八百姫大明神
 名前のない交差点を右折。さらに突き当たりを右折すると、道端に、ポツンと八百姫(やおひめ)大明神。人魚の肉を食べて800歳!まで生きたとされる、八百比丘尼(やおびくに)を祀っているそうだけど、い…いくら何でもそんな話って嘘八百。…。しかし、祠だけの神社だとは思っていたけど、ガイド・マップ『中山道散策マップ』の写真と比べると、祠が質素になって、犬小屋みたい…。ちょっと気の毒。(>_<)
画像14 14:05 例祭の前日
 東大成小学校入口交差点を左折すると石上(いそのかみ)神社。こちらも『中山道散策マップ』の写真と違って、赤い鳥居が石造りに変わっている。年配の方が3人集まって、何やら相談しているので尋ねると、明日の例祭の準備だって。本来は4月5日だけど、最近は平日だと人が集まらないので、祭礼日に近い日曜日に行っているそうです。中山道を歩いていると自慢したら(笑)、昔のこの付近の中山道は雑木林や荒れ地で、農家も2〜3軒しかなく、ずいぶんのどかだったそうです。
 旧道に戻ると歩道にポツンポツンと石仏2基。2基とも道標を兼ねている。手前の電柱に隠れている馬頭観音は天保3年(1832)製で、台座の左面に「此方 せうぶ四り半/きさい五り半」と刻まれている。少し北に離れて、駐車場の出入口脇にある三界万霊(さんがいばんれい)は安永6年(1777)製で、右面に「是より東 右原市道」と刻まれている。
画像15 14:15 馬頭観音&三界万霊塔 石仏のある風景
 この道標を兼ねた石仏たちも別の場所から移されてきたのかな?と思ったけど、2基がピッタリくっついて並んでいるのではなくて、ビミョ〜に離れているのが気になる。右側となる馬頭観音は台座の左面に、そして左側の三界万霊塔は右面に行き先が刻まれているので、石仏たちの間に道があったんだろうね。資料の①『中山道分間延絵図』&②明治時代の迅速測図を見ると、①では「原市村道一里程」と記され、②では二叉の追分となって右手に“原市道”が延びている。菖蒲と騎西は原市を経由してもっと先。さっきの大山御嶽山道標もそうだけど、区画整理で古道が消滅しても、残された道標が昔ここに道があった記憶を今に伝えているんだね。さいたま市教育委員会には、この石仏たちが大切な文化財として、案内板を設置してほしいね〜。
画像16 三界万霊塔の右面
画像17 馬頭観音の台座左面
 ちなみに、八王子通り大山道が神奈川県相模原市緑区の橋本で、区画整理によって一部消滅しているけど、大山道道標がそのまま取り残されていて、今もポツンと住宅地に建っています。道標は橋本の棒杭として市登録史跡となっているので、さいたま市もぜひ!
画像18 14:30 東大成の庚申塔
 左手に赤い鳥居。元禄10年(1697)製の東大成(ひがしおおなり)の庚申塔で、祠に「猿田彦大神」の額が掲げてある。地元では“耳の神さん”“眼の神さん”と大事にされ、耳や眼の病気の時には団子を供えるなどしてお参りしたそうだ。猿田彦といえば道の神様なので、おらも中山道の無事を祈ってお参り。
 ここがやっとおらの浮世絵ポイント@大宮宿(TOPの画像)。しかし、大宮宿からだいぶ離れている…。浦和宿・大宮宿の2宿連続でてっしーと浮世絵ポイントの場所が違うけど、大宮宿ではこちらの庚申塔の方が、てっしーのより17年古いもんね。(^-^;
 JR東北・上越新幹線をくぐった辺りに加茂宮一里塚があった。しかし、この付近も区画整理されているので、場所はよく分からない。左手の丁字路にポツンと宝暦9年(1759)製の橋供養塔福井石橋の跡だけど、川は跡形もない。  
画像19 14:45 ポツンと橋供養塔
 宮原駅を過ぎると天神橋跡があり、この付近が天神橋の立場跡。やはり川は跡形もなく、道の両側に欄干だけが置かれている。さいたま市内では川は埋められ、区画整理も激しいので、昔の地形とはだいぶ変わっているんだろうね。
画像20 14:50 立場跡の天神橋跡
画像21 名もない庚申塔
 左手に橋名の由来となった天満宮。その並びに元禄3年(1690)製の庚申塔。手前にあった東大成の庚申塔より古いけど、屋根も案内板もない。古ければイイ!というわけではないけど(笑)、同じように青面金剛像・二鶏・三猿が刻まれているのに、細かいディテールが違うのかな?
 そして、右手に加茂神…。そ、その前に、ミラー(道路反射鏡)に「注意 大宮市役所」と書かれたプレートがまだ付いている。大宮市は平成13年(2001)に浦和市・与野市と合併してさいたま市になったけど、昔ここが「大宮市」だった記憶を今に伝えているのかも(笑)。ミラーを過ぎると今度はホントに加茂神社。早くもここが浮世絵ポイント@上尾宿なので、15:00大宮宿の旅はこれで終わり。
画像22 15:00 村社加茂神社

おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間) 3時間40分(2時間55分)
万歩計®の歩数 12,376歩
喜多さんの歩数 12,827歩
寄り道含めたGPSの距離 10.6km

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