とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.52
〜草津宿→大津宿〜
14.3km

画像2004年10月23日(土)
草津宿の名物といえば、矢橋追分にあったうばがもちや。 今は草津市街に引っ越してしまったけど、その代わりに瓢箪屋が建っている。 寛政十年(1798)製の矢倉道標は今もそのままで、市指定文化財。

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06:50 静かな朝の草津宿

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07:10 立木神社の石造道標

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07:20 矢倉橋から真っ直ぐ

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07:40 野路一里塚跡

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08:00 野路の玉川跡

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08:35 立場の下月輪池

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08:50 月輪池一里塚跡

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09:15 丁字路を右折

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09:35 一宮建部大社

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10:05 龍王宮秀郷社

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10:05 瀬田の唐橋

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10:55 石山寺多宝塔

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11:00 月見亭からの眺め

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12:20 きつね丼玉子入り

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12:45 今井兼平の墓

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13:00 最後のプチ並木

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13:10 勢多口総門跡

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13:45 琵琶湖は広い!

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14:25 和田神社の銀杏

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14:40 石坐神社の本殿

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15:05 松尾芭蕉の墓

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15:30 見ろよヴィーナス…

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15:35 大津宿の家並み

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18:00 酸 っ ぱ い !

 高速バスで草津駅に6時着。 駅のペデストリアン・デッキで朝食を済ませ、6:50草津宿本陣から出発。
 本陣商店街を進むと左手に草津市観光物産館「脇本陣」。 アーケードの本四商店街に入ると左手に草津宿街道交流館。 マップに脇本陣が4ヶ所示されているけど、気がつかなかった…ガーン!
 右手に天平七年(735良弁開基と伝えられる常善寺。 木造阿弥陀如来及両脇侍像が国指定重要文化財。 慶長五年(1600)関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が上洛の途中宿陣したそうだ。 並びに問屋場・貫目改所跡。 はす向かいは太田酒造屋の道灌蔵。 太田道灌の子孫が経営しているそうだ。 商店街を抜けると左手に旅籠野村屋。 泊まってみた〜い。

 右手に立木神社。 狛犬が鹿、ってゆーか狛鹿になっている。 境内には延宝八年(1680)製で県内最古の石造道標がある。 元は東海道と中山道の追分見附にあったもので、市指定文化財。 「みぎハたうかいとういせミち」「ひだりハ中せんたうをた加みち」と刻まれている。 神木のウラジロガシが県指定自然記念物。

 家並みが途切れると草津川放水路。 平成十四年(2002)天井川から新しく付け替えられた新川(放水路)に通水され、旧草津川は廃川となった。 へぇ〜、知らなかった。 左手に黒門跡の案内板があり、ここが京方見附。 矢倉橋を渡ると細く真っ直ぐな旧道が延びる。 矢橋道の追分に瓢箪屋の瓢泉堂。 店先に建つ道標にある「矢橋」は宗長が「急がば回れ」と詠んだ渡し。

 矢倉南交.左にセブン茶屋。 飲物を買って交.を渡ると、上北池公園に野路一里塚跡。 東屋があるので10分休憩。

 横断歩道のない車道を渡ると野路の家並み。 右手の遠藤家に平清宗胴塚。 文治元年(1185)壇ノ浦の戦いで捕虜となり、鎌倉へ護送された後に野路口で斬首されてから、代々供養しているそうです。 近くで祭があるのか?あちこちに幟が立っている。
 再び車道を渡ると右手に野路の玉川跡。 中世に野路宿があった場所で、源頼朝が建久元年(1190)上洛の際に宿泊している。 景色がキレイだったそうだけど、向かいにはマンションが建ち並ぶ。 昭和五十一年(1976)野路町内会が復元工事をしたそうで、柳や萩が植えられている。 隣の財産管理地の地名表記に字名が玉水と書かれてあるので感動。 キレイな水が湧き出ていたんだね。
 中学生の集団が左側通行で向かってくる。 右側通行ですれ違おうと思っているのに、おらたちの右側に入り込もうとするので歩きづらい。 学校では、人は右側通行と教えないのかな?

 右手に弁天池。 狼川を渡ると日本黒鉛工業屋瀬田工場。 立派なが生えているけど、何本か枯れて茶色になっている。 もう大津市になって地名は栗林だけど、松林には頑張ってほしいね〜。
 左手に月輪大池の石柱。 進むと月輪自治会館に地名由来碑。 そして月輪寺下月輪池と続く。 昔は立場で風光明媚だったろうけど、今は住宅地の中なので、生活排水で汚れてしまっている。

 下月輪池を過ぎると坂を上り、峠の一里山一丁目交.に月輪池一里塚跡。 碑はクリーニング屋の前にあるんだけど、はす向かいもクリーニング店屋! 一里塚なので10分休憩(笑)。

 今度は坂を下り、十字路で左折。 丁字路を右折すると、また上り坂。 “真っ直ぐ”なはずの東海道がポキポキ曲がるので心配だったけど、静岡県の道標のように大津市が建てた案内板や矢印があるので迷子にならない。 ありがたいことです。
 突き当たりで歩道のある唐橋ふれあい通りを左折すると、右手の内田組にデカい狸。 高橋川に和田1号橋。 玉ネギが載っている朱の橋なのに、名前に情緒がない…。 そのまま進んでいると、石善山村石材店屋に「左 旧東海道」「右 瀬田唐橋」と案内が! ありがたく左の道を進み、突き当たりを左折して寄り道。

 近江国の一宮で日本武尊を祀った建部大社。 参道には松並木があり、地元の人々が掃除している。 デカい神社で本殿が2棟も並び、その両側にも末社摂社がズラーッと建ち並んでいる。
 由緒には、源頼朝が永暦元年(1160)伊豆配流で関東に下向する際立ち寄って前途を祈願、建久元年(1190)上洛の際にも立ち寄って神宝・神領を寄進した、とある。 木造女神坐像と文永七年(1270)製の石灯籠が国指定重要文化財。

 旧道に戻ると急に賑やかになって、車が渋滞している。 寄り道のため、寛政十二年(1800)製の田上不動道道標が建つ唐橋東詰交.を左折。 あれ?道を間違えたけど、瀬田城跡なんてある。
 瀬田川沿いの小径を戻ると、ありゃ、お目当ての龍王宮秀郷社。 龍王と藤原秀郷を祀っていて、小っちゃい本殿が2棟並んでいる。 瀬田橋の水底に棲む龍神に大ムカデ退治を頼まれ、三上山を7巻半もする大ムカデを退治したという百足退治伝説がある。 おらだったらそんな大ムカデが向かで来たら一目散に逃げちゃう。 …。

 交差点に戻りながら眺める瀬田の唐橋がイイね! 豊橋矢作橋と並ぶ東海道三大橋の1つで、「近江八景」の1つ瀬田の夕照。 天武元年(672)壬申の乱では大海人皇子大友皇子との最後の決戦場で、古くから橋が架けられていた。 現在の橋は昭和五十四年(1979)に架けられたものだけど、擬宝珠が並んで趣がある。 それにしても瀬田川の流れは速い。

 石山駅で昼と思っていたけど、10:10時間が早いので唐橋西交.を左折して、石山寺に寄り道。 石山寺は天平十九年(747良弁の開基で、国指定天然記念物石山寺硅灰の上に建っているのが寺名の由来。 承暦二年(1078)雷災のため焼失し、永長元年(1096)再建された県内最古の木造建築本堂、建久五年(1194)に建立された日本最古の多宝塔が国宝で、その他の国宝や重文などは書ききれないので、詳しくは地元の方にお任せする。(^_^;

 参道の紅葉並木をはじめ、梅・桜・躑躅などが植えられてあるので、オンシーズンは込みそう。 境内を徘徊すると、月見亭の横から琵琶湖が少しだけ見える。 「近江八景」の1つ石山の秋月だね〜。
 帰りは茶丈藤村(石山寺1-3-22)茶屋に寄って20分休憩。 おうす+たばしる(630円)が絶品。 キレイな景色に美味い和菓子。 思いっきり観光しているけど、楽しい観光を敢行しよう。 …。

 11:50瀬田唐橋西詰めに戻って、1時間40分の寄り道。 左手に格子戸の民家が並び、旧道の面影が残っている。 鳥居川交.を右折すると左手に明治天皇鳥居川御小休所碑。 石山寺との追分で立場として賑わっていたんだね。 現在の石山商店街も賑やかで、R1をくぐると右手に客がバンバン入る食堂があるので、ここで昼食。 満席のやっこ(松原町14-15)茶屋できつね丼玉子入りを注文(510円)。 うどんの汁をかけているんだと思うけど、美味い! 喜多さんは肉丼(520円)。 25分の休憩。

 昼食後スタートしてJRの線路を越える。 あいの土山でいただいたマップは石山駅経由だけど、“教科書”では直進なので、真っ直ぐ進む(その後“教科書”は再刊行され、ルートが石山駅経由に変わりました(T-T))。 盛越川を左に寄り道。 寿永三年(1184)討ち死にした源義仲の後を追って自害した今井兼平の墓。 関西日本電気屋の工場を回って、住宅地の中にある(駅北口を通ります(T-T))。

 旧道に戻ると蛇行する道沿いに松がポツンと1本。 2本、3本…計4本あり、松並木の跡だね。 松の根元は歩道が車道側に丸く膨らんでいて大事にされている。 この付近は「近江八景」の1つ粟津の晴嵐なので、松並木が残っていたらキレイだったろうね。

 青嵐交.から右側の歩道がなくなり、左カーブになるとさらに道が細くなり、枡形の右手に膳所城勢多口総門跡。 その横の道祖神が大事にされている。 ここから膳所商店街。 商店街としてはちょっと寂しいけど、膳所の家並みがイイよ〜。
 京阪石山坂本線の踏切を渡ると右手に若宮八幡神社。 表門は明治三年(1870)廃城となった膳所城の犬走門を移築したもので市指定文化財。 丁字路を右折。 左手の篠津神社表門も旧膳所城の北大手門で国指定重要文化財。 晴好雨竒亭跡を左折して、次の十字路を右折。 城下町なのでコキコキ曲がる。 ふぅ。

 しばらく真っ直ぐ進んで、信号のある交.を右折すると膳所城跡公園。 中に膳所城跡碑があるけど、城の面影はない。 公園の入口にある膳所市民センターの方が城っぽいかも(笑)。 正面の広〜い琵琶湖や近江大橋を眺めながら15分休憩。
 ローソン茶屋で飲物を買って、旧道を横切ると膳所神社。 こちらの表門も旧膳所城の薬医門で国指定重要文化財。

 旧道に戻り歩き始めようとすると、植え込みに膳所城中大手門跡。 城の正面玄関なのに石柱が目立たない。 左手に膳所城主本多氏の菩提寺縁心寺。 そして和田神社。 境内のイチョウは市指定天然記念物だけど、枝が短く切られて埴輪みたいなのが気の毒。 唐破風の屋根が立派な本殿が国指定重要文化財。

 三叉路を左に旧道。 民家の角に2体並んでいる道祖神がカワイイ。 突き当たりを右折して、丁字路を左折。 グルッと回り込んでから角を右折する変形枡形。 歩く前は心配だったけど、大津市の案内板のおかげで迷わなかった。 ホッ。
 左手に式内社石坐神社。 文永三年(1266)に建立された本殿が県指定文化財。 平安〜鎌倉時代に造られたという神像群4躯が国指定重要文化財だけど、詳しくは地元の方にお任せします。(^_^; 境内は狭いけどバカにできない。
 短い枡形右手に膳所城北総門跡。 膳所城下を無事通過。

 左手に義仲寺。 源義仲の愛妾巴御前が義仲の死後に草庵を結んだ所で、意外と小っちゃいのでビックリ! 国指定史跡の境内に入ると、寿永三年(1184)に討ち死にした源義仲供養塔と、元禄七年(1694)大坂で客死した松尾芭蕉の墓が並んでいる。 25分も過ごして手ぬぐいまで買っちゃった。(^_^;

 だんだん車が多くなってきて平野商店街。 右手の大津警察署の裏に石場の渡し跡があったそうだけど、案内板は見当たらない。 一里塚もあったそうなんだけど、こちらもどこなのか分からない。
 京阪石山坂本線の踏切を渡って三叉路を左に旧道。 上り坂となる。 左の路地を上ると平野神社で、蹴鞠で有名だけど残念ながらサッカーとは縁がない。 境内隅っこの市指定天然記念物クロガネモチは枝を切り落とされ、埴輪を通り越してミロのヴィーナスみたいになっているのが哀れ。

 再び三叉路を左に旧道。 真っ直ぐ進んで、信号も横断歩道もない交差点を渡ると、もう大津宿。 県庁所在地だけど、思ったよりも格子戸の民家が残っていてイイ感じ。 県庁を横目に交差点を渡ると、旧東海道の標識に旧町名が表示されている。
 15:50中央大通りのデカいけど名前がない交差点で草津宿の旅は終わり。 かろうじて大津市の案内板があるので、目印とする。 今回は旧東海道歩きの最終回のせいか?テンションが高く、7時間以上も歩いた(笑)。 今回は足も痛くないのでもうバッチリ。

 今日の旅籠、スーパーホテルにチェックインしてから、旧道を歩いている時に見つけられなかった天孫神社を見学。 ホテルのはす向かいで、祭礼である大津祭は県指定無形民俗文化財。 ホテルと天孫神社を隔てる道は、県庁もあるオフィス街で道幅が広い。 旧東海道の家並みは趣があるのに、道を1本隔てただけで、こんなにも殺風景。 一風呂浴びた神楽湯(中央3-6-4/15:00-23:00/金曜定休)ではご主人に「東海道を歩いている」と自慢したら(笑)、「頑張れ!」と労っていただきました。(^_^;
 銭湯の帰りにホテルの並び、居酒屋とらきち(京町3-2-3)茶屋の入口にあるメニュー・ボードを眺めていたら、名物の鮒ずしがある! 同じ「とら」同士だし、東海道踏破の前夜祭?ということで、今夜の晩飯は飲み会。 ビールの肴に一口食べると…

ぱい。(TxT)
おらはもう二度と食べなくてもイイ…。(^_^;
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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)9時間(約7時間40分)
万歩計の歩数35,572歩
喜多さんの歩数34,871歩
経費
石山寺入山料500円
義仲寺入山料200円
神楽湯入浴料350円

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