とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.08
〜大磯宿→小田原宿〜
15.6km

画像2001年 7月22日(日)
いかにも旧道らしい落ち着いた感じの化粧坂を過ぎると、大磯から小田原まではほとんどR1の歩道歩き。 今日みたいな夏真っ盛りだと太陽光線はもちろん、アスファルトの照り返しもキツいので気をつけてね。

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07:40 虎御石がある延台寺

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07:55 西行ゆかりの鴫立庵

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08:05 旧東海道の松並木

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08:20 “湘南”小淘綾の浜

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09:05 国府本郷の六地蔵

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09:20 神社集まる六所神社

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10:20 交差点右に旧道

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10:30 藤がキレイな藤巻寺

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10:40 梅沢一里塚跡

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11:10 大山道道標と常夜灯

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12:50 小八幡一里塚跡

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13:40 二宮尊徳表彰の碑

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13:55 新田義貞首塚

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14:30 旧町名「新宿町」

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14:45 旧本陣古清水旅館

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15:10 北条氏の小田原城

 7:35大磯駅入口交.よりスタート。 ほどなく穐葉神社入口交.。 左手の小っちゃい神社を眺めていたら、奥にお寺が…。 虎御前ゆかりの延台寺。 虎御石を見たかったけど時間が早くて門が閉まっている。 新聞が3部、戸にはさまっていた。

 右側を歩くとNTT屋に小島本陣跡島崎藤村の墓がある地福寺、中南信金両替屋に尾上本陣跡と続く。 左手に照ヶ崎海水浴場があり、海が近い。 R1が右にカーブしているけど、さらに左側に平行して大きくカーブしている道って旧道じゃないの?
 そして左手に「湘南」発祥の碑鴫立と続く。 木が生い茂って薄暗い中そば屋がある。 和歌をたしなむほどの教養はないけど、そばを食べるほどの食欲はある。 でも開店時間前…。
 右手の細い路地をしばらく進むと島崎藤村旧宅。 喜多さんは大磯界隈の住宅地を気に入って「ここに住みたい」と言っている。

 大磯中学校前交.から松並木。 歩道橋の上から眺めて思ったけど、やっぱり東海道には松が似合う。 松並木が終わると左手伊藤博文旧宅で旅籠屋、大磯プリンスホテル別館、滄浪

 その手前の大長屋脇に、海岸への矢印があるのでブラブラと行ってみると、万葉集にも詠まれている小淘綾の浜。 西湘バイパスが邪魔で砂浜は見えないけど、正面に伊豆大島、左手に三浦半島、右手は伊豆半島・箱根へと続く稜線がキレイ。

 旧道に戻ると国道歩きが続き、しばらく何もない。 西小磯あたりは正面に箱根を見ながら歩く。 血洗川という物騒な川を渡るとザックリと切り通し。 江戸時代もここは切り通しだったのかな?
 城山交.を右折するとすぐ右手に城山公園。 ということは交差点左側が吉田茂邸? デカい。 公園P脇にベンチや水飲み場があるので15分休憩。
 公園を回るように道路が右にカーブしているけど、旧道は左に入る(ホントは真っ直ぐなんだけどね)。 交通量が少なく静かで、坂を上りしばらく丘の上を進む。 途中、六地蔵が揃って赤いキャップをかぶっているのがカワイイ。 坂を下るとしばらくR1と並行して進んで国府新宿交.で合流。 こんなに迂回しているのは大磯ロングビーチのあるあたりが湿地帯だったんだろうね。

 六所神社は国府の跡だったらしく、JR線路をくぐって見に行く。 立派な社殿。 毎年5月5日相模国6ヶ所の神社が集まる祭・国府祭が県指定無形文化財で有名らしい。 一宮寒川神社、二宮川匂神社、三宮比々多神社、四宮前鳥神社、五宮平塚八幡宮、そして総社六所神社が集まり、御輿が練り歩くそうで面白い。
 二宮町に入ると松が5〜6本くらいのプチ並木。 塩海の名残という石柱があるけど何? 9:50JR二宮駅南口。 喜多さんがマック、マックとうるさいので、駅前ならあると思ったけどなかった。 でも二宮は当時立場だし、バス停のベンチで15分休憩(帰りの電車で発見したんだけど、北口にミニストップ茶屋がある)。
 旧道に戻り二宮駅入口交.の右手、さがみ信金両替屋二宮支店の窓に「弟橘媛が夫の日本武尊を助けるために横須賀の走水で入水して、その着物が流れ着いたので、この付近の海岸を袖ヶ浦という」と説明書きがある。 浦島伝説のある横浜市神奈川区や千葉県にも同じような伝説があるけど、ここには神社もあるもんね。

 その吾妻神社入口交.の右に旧道。 右手に鳥居がある吾妻神社は弟橘媛ゆかりの神社で、社殿はJR線路の先なのでパス。 旧道に入ると商店、造り醤油屋の土蔵と続き雰囲気がいい。 坂を下ると梅沢橋の石柱?それとも親柱? 川自体はふさがれて舗道になってる! 沢だったのに…。
 右手に元和九年(1623徳川家光も立ち寄ったという藤巻寺(正式名は等覚院)。 境内のは町指定天然記念物。 R1と合流する山西交.のやぐらの真下に道祖神。 今日のルートは激しい開発がない地域のせいか、ここ以外でも道祖神が数多く残っている。

 川匂神社入口交.の左に旧道。 川匂神社は「二宮」の地名の由来になった由緒ある神社なので訪れたかったけど、ハンパじゃなく遠いのでパス。 右手に江戸から18里目の梅沢一里塚跡。 左手和田家の庭に茶屋本陣松屋本陣跡の標柱。 ここが梅沢の立場なんだ。 R1との合流地点が急坂で、この地が押切坂と呼ばれるのが分かる。 しかもバイパスのR1が迫っていて道幅を半分ほどに削られてしまって、かわいそうな東海道…。

 川を過ぎると上り坂で峠右手に浅間神社。 左手は海で景色がイイ。 このまま海に飛び込んで、海の水を飲み干したい気分だ。 右手に車坂碑、色がハデな大山道道標秋葉山常夜灯近戸神社と続く。 JR国府津駅で休憩しようと思ったら、喜多さんは「この先にファミレスがあるので、そこで休憩しましょう」と言ってサッサと行ってしまう。 ファミレスでは食事にして、それとは別に休憩したい!と思いつつフラフラと後を追いかける。 おかげで親鸞が貞永元年(1232)から7年住んだという、左手と右手眞楽寺はパス。

 森戸川にミニストップ茶屋があったので何とか15分休憩できた。 12:05プチ並木の中にガスト茶屋があったので昼飯だ! 45分後、ガスト茶屋を出ると左手のバス停名が「一里塚」。 案内板しかなく、ちょっと寂しい小八幡一里塚跡。 向かいにその代わりを務めているようなが1本ある。 さらにこの先のバス停「漁場前」付近には松並木がある。 13:20右手文永十一年(1274)日蓮が酒匂川増水のため宿泊したという法船寺

 酒匂川の向かいはどこが渡し場なのか? 橋の右側、土手にある柳の所があやしい。 せっかちな喜多さんは橋を渡った所で飛び降りて、河原づたいに行ってしまったけど、おらは道を探す。 トヨタ屋とGS(エッソ)の間の小川にふたをした細い道を進み旧道にでる。 結局渡し場跡みたいなものは見つからず、代わりに二宮尊徳表彰の碑ってなものを見つけた。 文政元年(1818)小田原藩財政再建の労をねぎらい、藩主大久保忠真から表彰されたそうだ。

 同じ道を引き返して、右手に八幡神社。 城東高校交.を横切って、延元三年[暦応元年](1338)越前国で敗死した新田義貞の首塚に寄り道。 喜多さんはやはり入口で一服。 旧道に戻り、R1と合流して山王橋からすっかり市街。 4車線道路になり交通量が増えた。 右手江戸見附跡に選挙ポスターの掲示板が立っていて、案内板が読めないっ! しっかりしてくれ小田原選管!
 今度は喜多さんがグッタリしてきて自販機の前で15分休憩。 毎回帽子を持ってくるように言ってるのに、直射日光を浴び続けているので熱中症だ。 そりゃ困る。 旅のタイトルを「2001年熱中症の旅」に替えなきゃならない。 汗をぬぐう回数も減るし、行き倒れにならないよう帽子はかぶろう。 で、もうすぐゴールなので頑張ってね。

 新宿交.を左折すると、「新宿町」「鍋町」など旧町名を案内する石柱が目立つようになる。 十字路を右折すると、萬町で、小田原名産“蒲鉾”の町。 昔はわざと同じ業種を集めて町をつくったので、こんな感じになるんだ。

 左手古清水は今でも旅館で、並びに清水本陣跡。 その向かいに松原神社。 海がすぐ近くなのでこの付近はホントに松原だったんだろうな。 14:55本町交.で今日の旅は終わり。

 小田原駅に向かう途中、小田原城の一部、大手門跡が見えたので、ヘロヘロな喜多さんを連れてつい寄ってしまった。 「小田原ちょうちん“とうろう”祭」ってのが開催されていて、広場は大にぎわい。 お堀端通りでは氷の彫刻の品評会があって、並んでる彫刻を触りながら歩けてキモチイイ(倒して割ったのはおらじゃないです)。
 帰りに中嶋湯(中町2-5-5/15:30-22:00/不定休)による予定だったけど、喜多さんがフラフラなのでケンタ茶屋でお茶して帰る。 ホントの喜多さんは小田原宿の旅籠で五右衛門風呂の底を抜いてしまったので、風呂に入りたくないだろうね(笑)。 2〜3日前新聞の一面広告に載ってた鈴廣の蒲鉾を買って車中の人となる。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)7時間20分(約5時間35分)
万歩計の歩数28,637歩
喜多さんの歩数28,111歩
経費
往路:JR戸塚駅→大磯駅480円
帰路:JR小田原駅→戸塚駅740円

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