とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.02
〜川崎宿→神奈川宿〜
9.7km

画像2001年 6月30日(土)
元和九年(1623)川崎宿が設置されたときは橋があったのに、何度目かの六郷橋流失のあと、宝永六年(1709)に舟渡しになり、それまでさえなかった宿場が盛りかえしたそうでメデタシ、めでたし。

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09:15 芭蕉句碑はプチ公園

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09:40 市場一里塚跡

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10:50 JR鶴見線国道駅

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10:55 生麦魚河岸通り

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11:20 生麦事件碑

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12:15 東海道分間延絵図

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12:35 熊野神社の狛犬

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12:40 高札場再現

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12:55 浦島伝説の慶運寺

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13:15 教会みたいな宗興寺

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13:25 台場跡の石垣

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13:40 洲崎大神本殿

 今日は雨。 どうせ小雨で、午後には雨も止むだろと思って予定通り決行。 JR川崎駅から地下街を通って京急川崎駅に向かう。 地上に出たら方向を見失ったけど、左に進む。
 8:45中の本陣跡、砂子一丁目交.よりスタート。 リュックに入れてある“教科書”の出し入れが面倒なので、今回から自作の順路表『とらガイド』をプリントしてきたのに、佐藤本陣跡を見つけられずパス(泣)。 JR川崎駅から延びるK101を越えると旧道らしく静かで、風景も市街地から住宅地に変わる。

 京急の線路が見えると、右手に屋根付の芭蕉句碑。 そして東海道は何と!踏切で旧道が切断されていて、たいした距離ではないんだけど、踏切を渡って旧道に戻るのがちょっと痛々しい。 左手のJR南部線&京急八丁畷駅に地名の由来が書いてある。
 『膝栗毛』によると現在の大田区大森は当時「麦わら」の産地。 この先には「生麦」の地名。 で、ここでは芭蕉の句に「麦」の文字。 この付近一帯は一面麦畑だったのか? その中、長さ八丁もある太めのあぜ道を歩くのを想像すると、サササーと風に揺れる青い麦の穂…。 う〜ん、マンダム。 …。 旅情をそそるなぁ。

 市場上町から舗道がなくなり旧道らしくなった。 日本橋から初めての一里塚、市場一里塚跡。 ホントは5里目の一里塚なんだけど、都内や川崎市内ははげしく開発されていて、この付近にならないと“跡”すら残ってないんだ。 はす向かいにローソン茶屋があるので20分休憩。
 10:05鶴見川を渡ると石柱や案内板が増えて、ウォーキングにも張りがでる。 雨も止んだので両手があいてスッキリ。 京急鶴見駅前はガード下の横断歩道を渡って左の道を進む。 商店街なので何もないように思うけど、ビルの横に石柱が立ってたりするので注意。

 R15を横断するとJR鶴見線国道駅。 ガードをくぐるとアーチ状の構内が見える。 駅を過ぎるとなんだか生臭い。 ああ魚屋があったんだ、と納得して歩いていると、おっ!また魚屋、その隣も魚屋! 生麦魚河岸通りってのは“跡”じゃなくて現在のことだったんだ! 50軒ほど並んでいるのは圧巻。 貝専門店ってのも!
 静かな住宅地の中に「生麦事件現場」という案内板。 郷土史家のお宅らしい。 この場所で斬られて、この先にある碑の前で亡くなったんだ。 “副読本”に当時の現場写真が載っているけど、風景がずいぶん変わっている。 道念稲荷の「も蚊も」ってな祭も変わっているので見てみたい。
 左手キリンビール横浜工場があるのは、やっぱり原料が「麦」だからか? 工場見学らしきグループが受付にいる。 飲みてぇ。

 生麦一丁目交.でR15に合流すると左手に、文久二年(1862)に起きた生麦事件の碑。 久しぶりにR15の歩道と化した東海道を歩く。 R15は片側2車線道路。 道路を拡幅する時に街道沿いの民家・商店を立ち退かせているはずなので、あまり見るものはないと思っていたけど、新子安から子安にかけてマンション(大長屋?)のかたわらに古井戸があったり、古い民家が何軒か残っている。
 京急神奈川新町駅を過ぎると神社や寺が多くなる。 いよいよ神奈川宿。 12:00天慶年間(938〜47)建立の笠のぎ神社に行くには京急の線路の真下を通らなければいけないんだけど、ちょうど電車が通りかかって音が物凄くデカいので心臓に悪い。

 神明宮東光寺の間にある神奈川小学校の壁に、『東海道分間延絵図』の神奈川宿が描かれている。 ちょうど自販機があったので缶コーヒーを飲みながら眺める。 10分休憩。
 京急仲木戸駅を過ぎるとR15の上に首都高速神奈川1号横羽線が載っかって、道路が2段重ねになっている。 近未来都市の中で、神社仏閣を求めて旧道を歩くおらたちがけなげな感じ。 明治維新後、横浜・関内周辺が主に開発されたので、神奈川宿はこんなにも神社や寺が残っているのか? でも巡るの大変。

 浦島伝説で有名な慶運寺は、上り電車でJR横浜駅を出るとすぐ右に見える、お墓のある寺だった。 車内から見慣れた風景でも歩いて訪ねると違った雰囲気が楽しめる。 さすが“浦島寺”と呼ばれているだけあって石柱の台座が亀だし、この付近の車止めも亀の甲を模している。

 帰りは滝之川沿いを歩いてR15を右折。 右手に神奈川本陣跡。 滝の橋を渡り右折して、さらに路地を左折すると坂道右手に、文久元年(1861)ヘボンが診療所を開設した宗興。 今は本堂がコンクリート製で教会みたい。

 滝の橋交.を横断して、勝海舟設計で万延元年(1860)完成の神奈川台場跡へと向かう。 石垣の上は今や駐車場。 案内板の地図によると、今立ってるところは当時は海! それなのにR15と台場跡との間にお稲荷さんが2ヶ所もあるので、町がどうやって形成されるのかって興味がわくね。
 R15に戻り中央市場入口交.左手に青木本陣跡。 “教科書”の「銀行のところ」も空き地で、すでに“跡”になってしまった。

 歩道橋を渡ると右手に宮前商店街の看板。 当時の道幅が残っている旧道でホッとする。 日本橋から道中を共にした?R15とはこれでおさらば。 右手洲崎大神の案内板によると、神社正面(京に向かって左手)が神奈川湊の荷揚場。 するってーと、目の前の茶色い大長屋は海の中ってわけ?
 さっきの魚河岸通りからここまで、左側はずっと海だったのは地図を見ると分かるけど、品川宿と同様、現実に海は見えないよ。

 13:50京急神奈川駅。 鶴見区も神奈川区も案内板が充実していて、東海道中楽しかった。 『膝栗毛』では弥次喜多の2人は戻り馬に乗ってサッサと神奈川宿に着いちゃったので、代わりにおらたちが神社仏閣巡りをやらかしてやったぜ。 とにかく歩いた。 川崎宿〜神奈川宿間の旅はここで終わり。
 今日はヤル気満々で、後半は保土ヶ谷宿まで歩くので腹ごしらえをしなくちゃ。 駅前は店もまばらなので、洲崎大神まで戻ってレストランマルシェ(青木町5-30コスモ横浜1F)茶屋で昼飯。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)5時間05分(約4時間35分)
万歩計の歩数18,833歩
喜多さんの歩数19,971歩

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