とらぞうのおかち日記「1歩2歩散歩」SPECIAL
 2001年夢中の旅 
東海道五十三次


Vol.01
〜品川宿→川崎宿〜
9.8km

画像2001年 6月10日(日)
日本橋を七つ立ちすると、品川宿で日の出。 茶屋の下は海、右側は御殿山。 今は埋め立てられて削られて、全然面影なし。 八ッ山橋は工事中だったので、代わりに手前の交差点を撮影。

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09:25 本陣跡のお神輿

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09:40 木村屋の品川餅

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09:55 祭準備の品川神社

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10:05 富士山からの眺め

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10:20 南品川あたりの旧道

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10:40 品川寺の大イチョウ

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11:35 恐ろしや鈴ヶ森

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12:30 梅屋敷は庭園跡

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13:35 六郷神社の鳥居

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14:20 万年横丁大師道

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14:30 田中(兵庫)本陣跡

 広重の「品川」は八ッ山交.付近らしく、京急と旧道が交差するあたりみたいだけど、今は工事中。
 旧道の道幅は車がなんとかすれ違えられる程度で、当時と変わってないみたい。 神社仏閣も多く、こんな都会で意外と“江戸発見”の旅ができる。 9:15新宿お休み処からスタート。
 今日はやけに賑やかだと思ったら、近所の品川神社のお祭り(北の天王祭)で、おかげで寄り道三昧。 商店街のあちこちにお神輿がスタンバっていて、本陣跡の前を危うく通り過ぎるところだった。 本陣の入口は狭いけど、中は広くて公園になっている。

 本陣跡を出て旧道に戻り、右折して京急新馬場駅へと向かう。 道路右手に木村屋(北品川2-9-23)がある。 大納言入りの白玉餅品川餅は1個110円。 黒蜜をかけて食べる(これじゃあ「GOLDEN号GO!」だ)。 早くも15分休憩。

 さらに奥に進み、R15に出ると向かいが品川神社。 幟がはためき、並んでいる屋台は準備に余念がない。 鳥居の奥にモッコリと山みたいな物がある。 富士山だ! 前回の江戸東京博物館に「江戸の富士山分布図」というパネルがあって???だったけど、こういう事だったんだ。 せっかく来たので富士登山に挑戦して、御利益をいただいた。 山頂から東の空を仰いだけど、なんと!驚いたことに海は見えなかった…。

 東海道に戻って川崎へと進む。 品川区は町おこしで「旧東海道品川宿」を推していて、所々に松が植えてあったりお休み処があったり、旧道で車の交通量も少ないしウォーキングは快適。
 品川にはなんと!樹齢600年のイチョウの木が、東海道を見下ろしている。 面白いもので、幹の一部がつらら状になっていて、雫が垂れてきそうな感じ。
 品川寺を過ぎたらしばらく見るものがない。 鮫洲商店街にはいると、前回「日本橋の巻」でこだわっていたコンビニ茶屋、ミニストップ茶屋があったので、ソフトクリームを買い15分休憩。 本来は店内に休むスペースがあるんだけど、この店にはなかった(涙)。

 しばらくは史跡はない。 涙橋を過ぎると「しながわ水族館」のある「しながわ区民公園」。 堀を埋め立てて造ったんでしょう。 とにかく広い。 日曜日のせいか駐車場は満車で道路に車があふれてる。
 いよいよ旧東海道とR15の合流地点。 恐ろしや鈴ヶ森刑場跡…。 名前から察するに、木が生い茂って薄暗い公園をイメージしていたんだけど、合流地点の三角形状の歩道が広くなっているだけで、急いでいたら気が付かないで通り過ぎちゃうかも。 当時は森だったんだろうけど、今では“鈴ヶ原”って感じ。 しかし、処刑された人を横目で見ながら旅をするとはねぇ。 日本橋の一角にも晒し場があったので、あえて人通りの多い所に見せしめたのね。 天和3年(1683八百屋お七が火あぶりの刑に処せられた。 合掌。

 R15は歩道にゆったりとスペースがあるので、車を気にしなくて歩けるので楽。 平和島口交.から左に旧東海道へ入る。 交番が目印。 ここ美原通り商店街も「旧東海道」と書かれた石柱や椅子代わりの丸い石が点在していて、旧東海道をアピールしている。
 JR品川駅から歩いて、旧道沿いには北品川商店街、南品川商店街、鮫洲商店街、そして美原通り商店街と、昔からの人々の生活が連綿と続いていて、言い方を換えるとR15の裏道になってしまったけど、旧東海道に誇りと愛着を持っているのが伝わる。
 またR15と合流。 文政年間(1818〜30)に休み茶屋として繁盛していたという梅屋敷に寄るのに道路右側を歩く。 この付近は東京の下町で町工場が多い。 でも、ずいぶん前に閉めただろう個人商店を何軒か発見して、元気のある旧道の商店街と比べてしまうとちょっと寂しい。 梅屋敷は旧体育館跡でもある。

 次は六郷神社に寄るので左側を歩く。 歩道がやけに広い。 たぶん現在片側2車線のR15を3車線にするための用地を歩道にしているのではないか? お!南蒲田二丁目にミニストップ茶屋。 店内の休憩スペースは満席だった(泣)ので歩道で15分休憩。
 六郷神社は歴史が古い。 源頼義義家父子が「前九年の役」に勝利した天喜五年(1057)の創建。 源頼朝が寄進した浄水石は見つからず、梶原景時が寄進した太鼓橋を見て満足する。
 あとは多摩川(六郷川)にぶつかるだけ。 六郷川の手前からR15は自動車専用道路となって歩道と分かれてしまう。 歩行者は川を泳げってか? いいえ、途中でR15と合流。 六郷橋を歩いて渡るなんて、おらたちみたいな物好きしかいないと思っていたら、生活道路らしく、意外と往来があった。

 川崎側に降りると、明治天皇六郷の渡し跡“長十郎”発祥の地の碑が立ってる。 川崎市は梨の生産量が多いとは聞いていたけど、ブランド発祥の地とは知らなかった。
 緩やかな下り坂を進むと十字路に万年横丁大師道の碑がある。 右折してR15の高架をくぐると雨風をしのげるためか段ボールの家が建ち並ぶ…。 高架を横切ったところの案内板によると、このあたりが奈良茶飯で有名な万年屋があった所らしい。

 川崎市も品川区同様、町おこしのため旧東海道を整備していて、案内板も多くて親切。 R15の高架をくぐる前に小さな旅館があったり、商店の屋号が「○○屋」となっている店が多く、ここは歴史のある旧街道沿いなんだな、と感じさせる。 地名も「本町」だしね。
 “教科書”によると、当時は砂子が川崎宿の中心だそうで、右手に寛永五年(1628)から本陣を務めた川崎宿最古の田中本陣跡。 14:40砂子一丁目交.で今日の旅を終える。 これから昼飯。 できることなら奈良茶飯を食べたいんだけど、JR川崎駅前で牛丼を食べて(店の名前忘れた)帰路につく。

 銭湯に寄りたかったけど、インターネットで調べている途中で寝てしまったので今回はパス。

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おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間)5時間25分(約4時間40分)
万歩計の歩数17,246歩
経費
往路:JR戸塚駅→品川駅540円
帰路:JR川崎駅→戸塚駅380円

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