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Vol.01 柏尾通り大山道 その1

(戸塚長後 9.3km)


2005年 4月 9日(土)

 東海道を歩いて京都に着いて早半年。すっかりインドア系の人になってしまいました。いつか歩こう、いつか歩こう、と思っていた柏尾通りも、何カ所かで道路拡幅工事の予定があります。旧道の面影がなくなってしまう前に歩かなくちゃ。大正時代の旧版地形図を参考に、いよいよ戸塚→長後を歩きます。

 戸塚駅から不動坂まではバスと思っていたけど、イイ天気なので、スタート地点の柏尾追分まで旧東海道を歩く。おかげで(不動坂→長後)となるはずのタイトルが、(戸塚→長後)になっちゃった。(^-^;
画像01 柏尾追分 路駐の車がいっぱい…
 柏尾追分は丁字路ではなく、東海道を江戸から進むとY字路になっている。現在大山道を少し進んだところにある不動堂(大山前不動)は、往時追分の角にあった。追分のある坂が不動坂。近くの不動坂交差点が坂のピークとなり、交差点から下る坂が柏尾坂。不動坂バス停は柏尾坂の方にある。
(´-`).。oO(もっとも、バス停があるのは旧道じゃなくて、新道だけど…)
 9:20柏尾追分をスタート。意外にも民家があって旧道らしい道幅。東海道を歩いた時は京に向かって左側を歩いていたので、不動堂を見るのは初めて。
画像02 9:20 ひっそりと不動堂
 不動堂には不動明王が乗った大山道道標が置かれている。正徳3年(1713)製で「是よ里 大山道」と刻まれている。このお不動さまが乗る道標のほかに、お〜やまぁ、お堂の前に大山道道標が3基もある。…。3基の道標は、東海道側から、
・明治5年(1872)製の「従是大山道」、
・寛文10年(1670)製の橋供養塔で「従是大山路」、
・享保12年(1727)製の「右大山道」。
計4基の道標は柏尾の大山道道標として市登録地域史跡となっている。道標のほかにも、「雨降山」あぶりさんと刻まれた、元治2年(1865)製の常夜灯がある。
 大山跨線橋をくぐって右折するとJRの線路で行き止まり。以前は大山踏切があった。往時は開かずの踏切で、昭和47年(1972)踏切内で立ち往生したバスと横須賀線の電車が衝突する事故があり、この事故を受けて昭和49年(1974)大山跨線橋が完成。てっきり不動坂交差点から県道401号瀬谷柏尾線の跨線橋を渡るんだと思っていたら、線路のそばに跨線橋へ上がる階段が! 跨線橋で線路を越えたら、今度は下りる階段が! 跨線橋が踏切の代わりになっているので感激!
画像033 9:25 平戸永谷川に架かる渡戸橋
 渡戸橋平戸永谷川を渡ると右に旧道。跨線橋付近にはもう旧道は残ってないと思っていたので、さらに感激! この渡戸橋は古くからの橋で、さっきの不動堂の前にあった橋供養塔には「柏尾名瀬綿土橋」と刻まれている。
 大山跨線橋北側交差点で県道401号に合流して、阿久和川に架かる富士橋。案内板によると、ある年の洪水で橋が流され、甲斐国の猿橋の古材で修復したとある。恩義に感じて橋名を猿橋としたけど、いつしか富士橋と呼ばれるようになったそうだ。さっきの不動堂の前にあった橋供養塔に「名瀬矢部猿橋」と刻まれているので、江戸時代の初めはまだ猿橋だ。しかし、富士橋の西側に小高い山があるので、ここから富士山は見えない。何で?富士橋になったんだろう。
画像04 9:35 阿久和川に架かる富士橋
 柏尾追分は京に向かってY字路になっているので、戸塚宿からだと遠回り。不便だな〜と思っていたら、浮世絵ポイント@戸塚宿『戸塚 元町別道』でお馴染みの、吉田大橋から大山道の近道があり、この富士橋で合流する。
 往時の大山道は、富士橋を渡るとおおむね阿久和川に沿っていた。今は県道401号瀬谷柏尾線が真っ直ぐ延びているけど、この県道は大正15年(1926)に開通した新道。蛇行していた阿久和川は近年改修され、流れが真っ直ぐとなり、土手の旧道は消滅…と思ったら、上矢部北交差点のビルの脇に小径があるので行ってみると、川沿いに遊歩道が! おお!今まで知らなかった!
画像05 9:40 阿久和川遊歩道
画像06 9:50 片曽橋からの風景
 県道401号は交通量が多い割には歩道が途中でなくなるので憂鬱だったけど、花を愛でながら歩ける遊歩道があってヨカッタ。県道も遊歩道も、どちらもしばらく旧道の道筋をトレースしていないので、どうせ歩くなら遊歩道でしょ。\(^-^)/ しかも、遊歩道には、阿久和川が蛇行していた頃の道筋が一部残っているし。
 遊歩道の舗装が石畳からアスファルトに変わり、いよいよ県道401号の歩道のない箇所に合流! 怖いよ〜。泉区となり、岡津町交差点から歩道があるのでホッ。その次の岡津電話局前交差点を右に進むと道標があるけど、さらにその次の岡津小学校交差点に社号標が建つ三嶋神社に寄り道するので、その時に見学する。
画像07 10:05 三嶋神社社号標
画像08 阿久和川と子易川の旧合流点
画像09 村社三嶋神社
 三嶋神社の参道には2本の橋が架かっている。阿久和川に新鷹匠町橋、支流の子易(こやす)には鷹匠町橋。現在この2つの橋の下流に阿久和川と子易川の合流点があるけど、往時は“旧”鷹匠町橋の上流に合流点があった。そんなわけで、最近まで“旧”鷹匠町橋の下に阿久和川が流れていた。改修によって河道が付け替えられ、昭和63年(1988)新しい阿久和川に新鷹匠町橋が架けられた。
 三嶋神社の参道は大山道から真っ直ぐ延びていた。しかし、今は岡津小学校の校庭で塞がれている。石仏群を横目に迂回すると、山の斜面に三嶋神社。天文5年(1536)の創建で、境内のツガが市の古木名木に指定されている。この三嶋神社や岡津小・岡津中一帯は、彦坂元正の岡津陣屋跡。広〜い。元正は江戸時代初期の代官頭で、伊奈忠次・大久保長安と共に交通行政に参画し、戸塚宿の設置に尽力した。ちなみに、元正の妻の実家は戸塚宿の本陣を務めた澤辺家。
画像10 10:15 庚申道標@稲荷神社
 三嶋神社の前の道を右に下ると、さっきの岡津電話局前交差点から右に延びる道にぶつかる。はす向かいの山の斜面に稲荷神社。境内に庚申道標が置かれている。寛政8年(1796)製で、右面に「大山道」と刻まれている。ここには将来市道中田さちが丘線が通るので、お稲荷さんや道標はどうなっちゃうんだろう?
 稲荷神社→三嶋神社→鷹匠町橋と戻って、新鷹匠町橋を渡る前に隣のファミマ茶屋で飲み物を購入。旧阿久和川の河道はファミマ茶屋の裏にあり、現在は埋め立てられ、家庭菜園になっている。旧道は阿久和川の土手道なので、ファミマ茶屋の店内も歩いておかなくちゃ(笑)。
画像11 10:25 西林寺の桜
画像12 出羽三山供養道標
 ここでまた寄り道。白百合団地入口交差点を左折すると西林寺(さいりんじ)。長禄4年(1460)年の開創で、樹齢160年というシダレザクラが市の古木名木に指定されている。ソメイヨシノは満開だけど、枝垂れ桜は開花が早いみたいで、残念ながらだいぶ散っている。(>_<)
 境内には出羽三山道標が置かれていて、右面に「東 かまくら/ぐめうじ/江戸 道」、左面に「西 阿つき/ほしのや/八王子 道」と刻まれている。ぐめうじ道&ほしのや道坂東三十三箇所の巡礼道で、第14番の弘明寺(ぐみょうじ)と第8番の星谷寺(しょうこくじ〜星の谷観音)を結んでいる。この巡礼道は柏尾通り大山道と重なっていて、柏尾追分からこの先の不動橋までは同じ道のり。
画像13 10:35 双体道祖神
 白百合団地入口交差点に戻る。往時の旧道は、さっきの富士橋から阿久和川の右岸を通って、岡津橋で左岸に移った。しかし、阿久和川は改修され河道が変わり、岡津橋もなくなった。仕方がないので、白百合団地入口交差点のある新宮前橋で阿久和川の左岸に移り、県道401号で不動橋まで進む。なくなった岡津橋の名はバス停に残るだけで、近くに岡津橋のたもとにあったと思われる双体道祖神が静かにたたずんでいる。
 この県道401号瀬谷柏尾線は将来県道218号弥生台桜木町線と重なり、4車線道路になる予定。また景観が変わってしまう。(>_<) 景観といえば、さっきの富士橋では富士山は見えないけど、この付近では富士山も大山も見える。ただし、冬晴れの日じゃないと。
 なくなった岡津橋の代わりに?現在の阿久和川には新岡津橋があり、その次の橋が不動橋。しかし、不動橋を渡る前にまた寄り道。県道を挟んで正面の山を突き当たり、左に進むと橋名の由来となった不動堂。さらに竹やぶの中を進むと、お堂の奥に…ってゆーか、向導寺の裏山に、何と!富士塚! 今まで知らなかったけど、こんな所に富士塚があるなんて、感激!
画像14 10:45 ひっそりと富士塚 塚には4基の富士講碑が建っている
 不動橋を渡ると永明寺(ようめいじ)別院。門前にお不動さまが乗った庚申道標が建っている。享保10年(1725)製で、正面にデッカく「大山道」、右面に「右ほしのやみち」と刻まれている。元は不動橋にあったもので、富士橋から阿久和川沿いに進んできた旧道は、不動橋を渡り南西に向かう大山道と、そのまま阿久和川左岸を進むほしのや道と分かれる。庚申道標の隣りには出羽三山供養塔もある。
画像15 10:55 永明寺別院にある道標 That's大山道!
画像16 永明寺山門
 はす向かいの路地を入ると永明寺の本寺。天文11年(1542)太田道灌の孫という岡津郷領主太田宗真の開創。祖父道灌の菩提を供養するために道灌を勧請開基したそうだ。大正12年(1923)関東大震災で裏山と堂宇が崩壊し、阿久和川の近くに移転。平成4年(1992)諸堂が落成して旧地に戻ったといういきさつがある。一時期移転していた場所というのが、お不動さまが乗った道標のある別院。
 永明寺本寺の向かいには御嶽社白山社が祀られている。永明寺の山門を撮るために神社の石段を上ったんだけど、30段以上もあるのでキツい…。
画像17 11:05 やっと現れた、旧道らしい風景
画像18 双体道祖神&地神道標
 旧道を進むと、左手が永明寺の裏山で右手が住宅地。今まで川沿いの遊歩道や県道の歩道を歩いていたので、旧道らしい風景にホッとする…ってゆーか、もし目隠しされて連れてこられたら、ここが横浜市内って思わないかも?(^-^;
 左カーブすると柏尾通り大山道の案内板があり、その隣りに双体道祖神地神道標。地神道標は安政2年(1855)製で、台座の右面に「下り かしを道 上り 大山道」と刻まれている。この「上り」「下り」は、京に対する上り下りではなくて、坂道の上り下り。
 車も通らず気持ちのイイ旧道を歩いていると、突然コンクリートの壁が!(◎o◎) 住宅地が現れて行き止まり…と思いきや、小山の縁を進んできた旧道はここで直角に右折して、向かいの小山にぶつかり左折…するはずだったけど、桂坂公園の入口付近で旧道はその小山ごと消滅。ここは相鉄が大規模造成で開発した弥生台住宅地区。往時は西田谷(にしだやと)と呼ばれ、このコンクリの壁の奥の方まで谷が入り込んで、里山の風景が広がっていた。しかし、山は削られ谷は埋められ、一変してニュー・タウンとなっている。
画像19 11:10 大規模造成住宅地で行き止まり?
画像20 「桂坂」の由来碑
 桂坂公園にある「桂坂」の由来碑によると、この辺りは大山道が長〜い坂道に差しかかるところ。地区のシンボル・ツリーとして街路樹に桂の木を植えたので、この地区を「桂坂」と呼ぶことにしたんだって。えー!そんな安易なことで地名が決まっちゃうのぉ?(◎o◎) そんなことなら、おらの住んでいる地区は、おらの大好きなバオバブの木を植えてほしいな〜。そして、地名を「バオバブが丘」とかにしてほしいな〜。ちなみに、西田谷の「西田」は、往時の中心地である岡津村から見て西にある田んぼ。
 桂坂公園から旧道が消滅しているので、しばらく好き勝手に進んでもイイんだけど、できるだけ往時の道筋をトレースしたい。まずは桂坂公園の向かいにある階段の遊歩道で西が岡二丁目交差点に出る。この辺りが真っ直ぐ進んで急坂の男坂と、右手に迂回して緩やかな坂の女坂追分。さっきの地神道標はこの追分付近にあったものなので、今もこの場所にあれば「上り下り」の意味が分かるのにね〜。西が岡二丁目交差点を右折して女坂を進む。
画像21 11:15 中川地区センターの石仏群
 石仏好きな方は、桂坂公園の近くにある中川地区センターへGO! 駐車場の一角に、周辺から集められた石仏が置かれている。ちなみに、中川地区センターの「中川」は、明治22年(1889)岡津村とその近隣の上矢部村・阿久和村などが合併してできた村。村の中央を阿久和川が流れているので、中川村となった。
 消滅した女坂は、西が岡1丁目交差点から弧を描くように左折。県道218号の車道から外れて、右手のGS(九州石油)やマンションの敷地を通っていた。しかし、ターミネーターのように建物をぶち壊してまで進めないので、左側の歩道を歩く。
画像22 11:20 ツツジに埋もれた地神道標
 ゲオ屋の前に2つめの地神道標。慶応2年(1866)製で、右面に「この方 かしを道」、左面に「此方 大山道」と刻まれている。元は手前で左折した西が岡1丁目交差点付近にあった。往時の交差点付近は追分で、文教堂のあるマンションの右手に路地があるけど、左手の駐車場の方を突っ切ると昔の路地に通じ、さっき大山道と分かれたほしのや道に合流する。
 国際親善総合病院を横目に西が岡1丁目西側交差点を左折。のどかな里山を宅地造成で無理やり平らにしたので、帳尻合わせ的な急坂を“登”る。突き当たりの道が復活した女坂で、右折して進むことになる。
画像23 11:25 宅地造成で消滅した女坂が、ここで復活!
画像24 むじな塚の上にあった?宝篋印塔&馬頭観音
 右折する前に、国際親善総合病院の4〜5Fに相当する、復活した旧道の切れ目に立ってみると、景色がイイ。物スゴい宅地造成だったんだね〜。高台になった分、冬晴れの日には大山や富士山が見える。これで女坂なので、もっと急坂の男坂は歩きたくないね〜。(^-^;
 『泉区古道散策マップ』によると、この付近にむじな塚があるそうだけど、どこなのか?分からない。10分ほど付近を探したけど、塚らしいものは見当たらない。(>_<) 後日泉区に問い合わせると、むじな塚があった場所には介護施設が建って、もうなくなったそうだ。行ってみると、介護施設は建ったばかりでピカピカ。ああ、2〜3年前だったら塚が残っていたんだろうね。残念。その代わり、施設の入口に、むじな塚に建っていたと思われる宝篋印塔馬頭観音が置かれている。
画像25 11:35 工事が休止中の大山道
画像26 手前で合流してくる男坂
 気を取り直して先を進むと広めの車道に合流。「広め」といっても、拡幅工事が休止中で、道幅がすぐ狭くなって旧道らしい雰囲気。しかし、旧道によくありがちな、抜け道になっている。交通量は少ないけど、猛スピードで車が走っているので、コワいよ。(>_<)
 その広めの車道に合流する前に、左から小径が合流してくる。この小径がさっき西が岡二丁目交差点付近で女坂と分かれたものの、コッソリとヨリを戻した男坂。こちらも女坂と同じように、国際親善総合病院の裏手の崖からいきなり復活する。しかし、残された道もほとんど畑のあぜ道と化して、昔大山参りで賑わっていた街道とは思えない状況。(>_<)
 雑木林を抜けると、視界が開けてうっすらと大山が見える。旧道は車一台やっと通れるくらいの細い道で、人が歩けば車は通れず、車が通れば人は歩けない。生活道路としては不便な道だけど、この風景って昔から変わっていないんだろうね〜。しかし、いずれ歩道付きの2車線道路になる予定。(>_<)
画像27 11:40 この風景は昔から変わっていないんだろうね〜
画像28 11:50 和泉小学校入口交差点の庚申道標
 和泉小学校入口交差点の右手、金子家の角に庚申道標。文化6年(1809)製で、右面に「東 かしを/南 ふじ沢 道」、左面に「西 大山道/北 八王子道」と刻まれている。交差点の左手も金子家で、こちらは往時大山詣の客を相手に茶屋を営んでいたそう。
 交差点を横切る県道402号阿久和鎌倉線は愛称が「かまくらみち」となっているけど、あまり共感できない。まぁ、道が南北に走っているので鎌倉道に間違いないだろうけど、本道ではない。本道の鎌倉道上道はこれから向かう境川の左岸にあり、その手前(東側)に鎌倉道上道のバイパスがある。県道402号はそのバイパスのさらに東を走る2本目の支道。しかし、「かまくらみち」ってな愛称になっているばっかりに、多くの人には県道402号が鎌倉道の本道と思われているんだろうね〜。
画像29 12:00 横根稲荷神社の感念井戸
 和泉小学校入口交差点を渡り、次の十字路を右折して、ちょっと寄り道。坂を上ると十字路にバス停「富士塚」。正面のモーテルいづみに明治時代に築かれた富士塚があった。今日は大山の稜線が何となく分かる程度だけど、冬晴れの日や夕方には大山・富士山・箱根がよく見える。富士山がクッキリと見えるところに富士塚があったんだね〜。
 そして、横根稲荷神社。境内に巴御前が信濃に落ちて行く途中で利用したという感念井戸がある。満開の桜を愛でながら10分休憩。
 旧道に戻って和泉小学校を過ぎると、右手の畑に建つ出羽三山供養塔を横目に左の道を進む。長屋「メゾン・フォンターナ」の駐車場にも柵で囲まれ大事にされた出羽三山供養塔がある。終点の大山が西にあるのに、何故か?南下する旧道を進むと、謎の石仏群。泉区古道散策マップによると、その中のひとつが出羽三山供養塔みたいだけど、風化して解読不能。隣に大山道の標識がひっそりと立っている。
画像30 12:20 風化した石仏たちがゴロリ
 放置自転車の和泉町保管場所付近がごいん場。漢字だと「御印場」と書くんだと思うけど、何のことなのか?分からない。
 古ぼけた大山道の標識を横目に右にカーブすると、坂を下って崖に沿って南下。泉区総合庁舎東側交差点で県道22号横浜伊勢原線「長後街道」を渡ると、旧道が弓なりに右カーブする蛇行跡が残っている。長後街道は大正3年(1914)に開通したので、もう100年近く蛇行跡が残っていることになる。しかし、この蛇行跡も長後街道の4車線化で消滅してしまうので、「交差点を右折」と書いた方が親切かも?
画像31 12:30 大きくカーブする大山道の蛇行跡
画像32 神明社の入口にある石仏群
 泉区総合庁舎東側交差点から南下する路地に石仏群。まずは蚕御霊(かいこごりょう)神塔。明治11年(1878)製の蚕霊(さんれい)供養塔で市登録地域有形民俗文化財。この地域は明治時代に養蚕が盛んだった。慶応2年(1866)霜害のために桑が枯れ、蚕を育てられなくなり、蚕を地中に埋めたことが刻まれている。大事なお蚕さまが生き埋めに!(>_<) この供養塔は道標を兼ねていて、左面に「☞大山道」と刻まれている。その隣が万延元年(1860)製の庚申道標で、左面に「右 大山道/左 藤澤道」と刻まれている。石仏群の前を通る路地が藤沢道だけど、藤沢までの道筋はよく分からない。
 石仏群の後ろに神明社。狛犬もいない小っちゃい神社だけど、泉小次郎伝承地で市登録地域史跡。泉小次郎親衡(ちかひら)の館の鬼門よけらしい。そして、社の横にある路地は、長後街道の旧道である戸塚道追分
画像33 12:35 昔は神田橋が架かっていました
画像34 横浜湘南地方のご当地グルメ:サンマーメン
 蛇行跡を進んで泉区総合庁舎前交差点を渡る。以前は県道22号を斜めに横切っていたけど、平成8年(1996)に完成した泉区総合庁舎建設のために、残念ながら大山道は消滅! 舗道の一部になってしまいました。(T-T) ここはおらが旧道に目覚めた場所なので、できれば記念碑を建てたいっ! 旧道が残っていた頃は県道より人ひとり分低い位置で和泉川神田(かみだ)が架かっていた。
 県道22号「長後街道」の和泉橋を渡って、ほんの少しだけ残っている旧道を進む。長屋「サンパティーク」を左折して長後街道に合流。12:40ちょうどラーメン店YABU茶屋があるのでここで昼食。特に名物がないので、横浜湘南地方のご当地グルメサンマーメン750円をいただく。喜多さんはワンタンメン。
 35分の昼食休憩で13:15スタート。GS(シェル)の横に庚申塔が大事に置かれている。上り坂を進むと和泉坂上交差点で環状4号を横断。写真を撮り忘れちゃったけど、この南北に走る環状4号は鎌倉道上道たつ道。往時のバイパスで、元弘3年[正慶2年](1333)新田義貞が鎌倉攻めの時に通ったとされる。以前は車がやっとすれ違えるほどの細い道だったのに、今やなくてはならない幹線道路で立派になった。さっきの県道402号より、この環状4号の方が「かまくらみち」に相応しい。愛称を変更しようよ! で、和泉坂上交差点を過ぎると左に旧道。
画像35 13:20 和泉坂上交差点を過ぎたら左に旧道
 旧道に入ると車の喧噪から離れて静か〜。トイレのあるけやき公園を横目に十字路を過ぎると、車1台ゆったり停められるほどの空き地に庚申塔がポツン。大事にされているね〜。
画像36 13:25 大事にされている庚申塔
画像37 13:30 三柱神社の庚申道標
 丁字路を左折して寄り道。南仲通りを進むと桜満開の三柱(みはしら)神社。境内に庚申道標が置かれている。文久元年(1861)製で、右面に「此方かしを道」、左面に「此方大山道」と刻まれている。また、さっきの神明社のように、当社にも蚕霊供養塔が置かれている。
 10分ほどの寄り道で旧道に戻り、坂道を下る。さっき放置自転車の保管場所付近がごいん場だったけど、この坂道もごいん場。こんなに何カ所もごいん場があるというのに、何をする場所なのか?分からないなんて、謎。坂を下ると、冬晴れの日には正面に富士山が見えるんだけど、この季節は無理…。
画像38 13:35 ごいん場があった坂道を下ると鎌倉道上道
 突き当たりを右折。何気ないこの道が鎌倉道上道(かみつみち)の本道! 源頼朝も通った鎌倉道上道! これぞホントの「かまくらみち」なんだけど、標識も案内板もない。知っている人がどのくらいいるのかな〜? 今度は北上して上飯田団地入口交差点で県道22号「長後街道」を横断。
 上飯田団地入口交差点を過ぎると右に旧道。すぐある路地を入ると無量寺。20mもある名木古木のイチョウが立派。本堂の横には名号碑とコンクリートで固められた元徳年間(1329〜30)製の板碑が並んでいる。名号碑の台座が道標を兼ねていて、横書きで「大山道」と刻まれているそうだけど、線が浅すぎて読めない。
画像39 13:40 無量寺のイチョウ
画像40 13:45 農道化した大山道 ひっそり
 旧道に戻るとすぐに二又に分かれ、左が大山道で右が鎌倉道上道。主要道の追分なのにひっそりとしている。さっき寄った三柱神社の道標がこの場所にあったそうだけど、あんなに遠くの三柱神社じゃなくて、もっと近い無量寺に置けばヨカッタのに。テクノモール屋を右手に見て、農道化した旧道を進むと境川。今は何もないけど、往時は千束橋が架かっていた。
 少し下流の高鎌(こうけん)で境川を渡る。長後街道が開通した大正3年(1914)に架けられた。藤沢市側の「高座郡」と横浜市泉区側の「鎌倉郡」に架かるので、高鎌橋。境川右岸の舗装道路は県道451号藤沢大和自転車道線。通称「境川自転車道」で、多くの自転車が行き交う。正面のこんもりとした杜は諏訪神社。古墳みたい。田んぼの中の農道…ってゆーか、旧道を進み、長後街道を目指す。
画像41 13:50 こんもりと諏訪神社
 長後街道を横切ると、丁字路に如意輪観音庚申道標が並んでいる。庚申道標はかなり風化してよく読めないけど、文政年間(1818〜30)製で、正面に「大山」、右面に「庚申塔」、左面に「ふし沢」と刻まれている。
画像42 13:55 丁字路に如意輪観音&庚申道標
画像43 14:00 長後街道を横切り、右に旧道
 丁字路を右折すると、斜めに長後街道を横切り、旧道が長後街道の右側に蛇行している。歩いている時は気がつかなかったけど、長後街道を振り返ると、旧道側に新倉呉服店がある。駅前や繁華街ではない住宅地にある呉服店なら古くからのお店だろう、今は長後街道側に玄関があるけど以前は旧道側に入口があったんだろう、などと妄想して、後日訪れてみました。(^-^; 残念ながら、創業は戦後で、長後街道がメインストリート。ご主人は高齢の方で、大山道を調べていると話したら、お店の裏が旧道で、境川の橋はもっと上流にあったと教えてくれました。しかも、新道(長後街道)の高鎌橋ができた後も、旧道の千束橋はしばらく架かっていたそうです。これはイイ情報。ありがとうございます。
 さて、右に蛇行する旧道はそのあと左カーブして長後街道に合流。その手前の角に宝暦4年(1754)製の庚申塔がひっそりと佇んでいる。
画像44 14:10 振り向いて高倉庚申堂
 しばらく真っ直ぐの長後街道を進む。長後小学校入口交差点手前の左カーブで左に旧道。大山道は長後街道に合流してからものすごい蛇行しているので、旧道を探検しているみたいで面白い。国道467号に出る。愛称は「藤沢街道」だけど、以前は県道41号藤沢町田線で、知らないうちに国道になっていた。おらは今でも「藤沢町田線」と呼んでいます。
 しかし、大山道が正面に見えるのに、国道467号には横断歩道がない!(>_<) 左手の歩道橋か右手の長後小学校入口交差点で渡らなくちゃいけないんだけど…おっ!たまたま車が途切れたので走る! よい子は真似しないで!(^-^; 高倉庚申堂を横目に信号のある交差点で長後街道を横切る。
 坂を上がった突き当たりは長後商店街。突き当たりの道は東海道藤沢宿と甲州道中八王子宿を結ぶ滝山道で、長後商店街のある繁華街は長後宿藪鼻(やぶはな)宿とも呼ばれていた。すぐ近くに小田急江ノ島線の長後駅があり、以前は長後街道を走る戸塚〜長後のバスの本数も多かったので、子供の頃はよく訪れていた。
画像45 14:15 滝山道の宿場町だった長後商店街
 しかし、平成11年(1999)南隣の湘南台駅に横浜市営地下鉄・相鉄いずみ野線がつながってターミナル化すると、長後街道のバス便が激減して、最近はご無沙汰。久しぶりに長後商店街を訪れると、今や藤沢町田線の抜け道と化して、車がビュンビュン走っておっかない。安心して買い物ができる環境じゃないと、商店街がもっと寂れてしまう…。
 名前のない交差点(長後の辻)を右折すると小田急江ノ島線の踏切。14:20長後駅入口交差点が本日のゴール。交差点右手に仙元塚。仙元塚=浅間塚=富士塚が商店街にあるなんて! 今は「仙元大菩薩」と刻まれた碑が置かれているだけだけど、富士塚のある風景なんて見てみたかったな〜。
画像46 14:20 本日のゴール!仙元塚
 この機会じゃないとなかなか訪れないだろうと思い、ちょっと遠いけど、これから長後天満宮にお参り。今歩いて来た道の1つ手前の路地を入って住宅地を進んでいたら、思いのほか道が入り組んでいて迷子…。なかなかたどり着かないので、犬の散歩のおばさんに尋ねてやっと到着。(^-^;
 長後天満宮の由緒によると、永久3年(1115)渋谷重国の祖父秩父基家がこの地に築城&城内に廟を建立して、菅原道真公を崇祀して天満宮と称したとある。へぇ、長後天満宮って渋谷城跡ってことなんだね。(◎o◎)
画像47 長後天満宮拝殿
画像48 寛永19年石燈籠
 当社には2件の市指定文化財がある。その1つは寛永19年石燈籠。江戸時代になると長後は上下二分され、下長後村が旗本朝岡氏の知行となる。石燈籠は朝岡丑之助が寛永19年(1642)に奉納したもの。
 そして、もう1つの文化財は貞享3年石造狛犬一対。参道入口に新しめの狛犬があり、拝殿前に古そうな狛犬があるのでパチリ。帰宅して確認すると、ありゃ〜、大正14年(1925)製…。そうか!指定文化財になるくらいなので、拝殿じゃなくて本殿の前だ! 後日再訪して本殿の塀を覗くと、小っちゃい狛犬が! YATTA!とパチリ。しかし、ネットで調べると、本殿前の狛犬も昭和8年(1933)製で、もっと新しい…。(>_<) う〜む、最近は神社仏閣の文化財が盗難に遭うような物騒な世の中なので、きっと普段は本殿に納められていて、例祭や年始の時にしかお披露目しないのかも。ということで、初詣に出かけたところ、思惑通り本殿の扉が放たれ、貞享3年(1686)製の狛犬を拝むことができました。\(^-^)/ 長後天満宮は一期一会のつもりが、3回も訪れてしまった。近場でヨカッタ。
画像49 阿形が扉で隠れているけど、貞享3年石造狛犬一対
 久しぶりの街道歩きはヨカッタよかった。しかし、柏尾通り大山道の起点:柏尾追分から本日の終点:仙元塚までは、おらの地元なので、つい力が入ってしまいました。そのためかなり長尺になっています。しかし、このペースで作成していると大変なので、次のページからは少し肩の力を抜いていこうと思います。(^-^;

おまけ
所要時間(休憩除いた正味時間) 5時間(4時間15分)
万歩計®の歩数 19,952歩
喜多さんの歩数 18,022歩
経費
帰路:小田急電鉄長後駅→湘南台駅
横浜市営地下鉄湘南台駅→戸塚駅
120円
260円
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Vol.02 柏尾通り大山道 その2

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