スライドショー01 スライドショー02 スライドショー03 スライドショー04 スライドショー05 スライドショー06 スライドショー07 スライドショー08 スライドショー09 スライドショー10
バナー

Vol.00 日本橋千住宿

(8.7km)


広重「日本橋」 宿場

2015年12月26日(土)

 日光道中といえば、元和2年(1616)に亡くなった徳川家康を祀る日光東照宮の参詣道。東照宮(当時は東照社)が駿府久能山から日光に遷宮された同3年(1617)頃に、日本橋〜日光の区間が日光道中と呼ばれるようになりました。さて、今年は家康公の四百回忌。そして、12月26日は家康公の誕生日。家康公ゆかりの日に日光道中を出立できるのがイイね!
浮世絵ポイント 画像00

画像01 7:10 晒し場跡の日本橋南詰東側をスタート
 いよいよ日光道中二十一次を歩く! あ!そうだ、そういえば、今まで東海道に中山道、そして今回の日光道中の起点である日本橋をスタートするのに、現在の日本橋について語っていない! ということで、国指定重要文化財である日本橋は、明治44年(1911)に木造から現在の石造二重アーチ橋に架け替えられた。さて、東海道歩きでは高札場跡の南詰西側をスタートして、中山道歩きでは魚河岸跡の北詰東側をスタートしたので、今回の日光道中ではおどろおどろしい晒し場跡の南詰東側を、7:10スタート(笑)。
 日光道中の道筋は、初めは少しだけ中山道と一緒だけど、中山道歩きの時に工事中だった三菱東京UFJ銀行の角を曲がる…ってゆーか、三菱東京UFJ銀行がない! 仮囲いにあった地図には、旧三和銀行の角が日光道中となっていたので、てっきり三菱東京UFJ銀行が建つのかと思ったら、YUITOという商業施設になっているっ!
画像02 7:15 室町三丁目南交差点を右折
 街の変わりようにビックリしつつ、室町三丁目南交差点を右折。中山道歩きの時は気がつかなかったけど、交差点左手にある、天保5年(1834)創業の千疋屋総本店が目印。
 年末年始の休み初日の朝で人通りが少ない。都道316号「昭和通り」にぶつかる…ってゆーか、道路や丁字路に出る時に口癖で「ぶつかる」って言うけど、昭和通りには交差点がなくて行き止まり。ホントにぶつかる。(^-^; 天下の五街道が地下道に!(>_<) 街道歩きではGPSをお供に連れているので、なるべく地下道は歩きたくないな〜。GPSが衛星を補足できなくて、ログが気が狂ったようにあちこち飛んじゃう。地下道を造っても天井は塞がずに、空が見えるようにしてほしい。え?道路に溝があると危ないって? これからの車はマッハ号のようにジャンプできるようにしたらイイよ(笑)。
画像03 7:20 昭和通りで通せんぼ
 名前のない交差点で寄り道。左折して小伝馬町交差点で国道6号「江戸通り」を突っ切り、1つめの路地を入ると十思公園。都指定史跡伝馬町牢屋敷跡で、公園内だけでなく、入口の大安楽寺・十思スクエアも牢屋敷だったので、けっこう広い。公園の片隅に吉田松陰終焉の地碑が建っている。松蔭は黒船密航失敗と安政の大獄で2回投獄され、安政の大獄の安政6年(1859)に斬首となった。
画像04 7:30 吉田松陰終焉の地碑
画像05 石町時の鐘
 十思公園には石町(こくちょう)時の鐘も置かれている。江戸時代最初の時の鐘で都指定文化財。元々は江戸城西の丸で撞いていた鐘で、日本橋石町に鐘楼堂を造って納めたのが起源。日本橋石町は中山道沿いの日本橋室町4丁目〜日本橋本町4丁目付近。3度の火災に遭い破損したため、現在の鐘は2代目で、宝永8年(1711)に鋳造されたもの。伝馬町牢屋敷での処刑は時の鐘を合図に執行されたそうなので、吉田松陰もこの鐘の音を聴いていたんだね〜。
 旧道に戻ると横山町問屋街。両国ビルヂングの案内板を横目に片側3車線の広い道路に出ると、浅草橋交差点。浅草橋交差点から左側の歩道がなくなるので、右側に移ると、神田川に架かる浅草橋。神田川には屋型船がいっぱい。浅草橋を渡ると台東区となり、橋の北詰に浅草見附跡。碑があるだけで案内板はない。
画像06 7:55 浅草見附跡
画像07 8:10 往時はこの前後左右に蔵・蔵・蔵!
 天保6年(1835)創業の久月を横目に蔵前一丁目交差点。右折すると、蔵前橋の手前に浅草御蔵跡碑。浅草御蔵(あさくさおくら)は、またの名を浅草御米蔵ともいい、主として旗本・御家人の給米用の倉庫群。元和6年(1620)に奥州道中(日光道中)の左手にあった浅草鳥越神社の丘を切り崩し、現在の柳橋2丁目、蔵前1丁目・2丁目に当たる、広大な地域を埋め立てて造営した。最大で67棟もの蔵が建ち並んでいたというので、蔵の多さにビックラ!(◎o◎) …。し…しかし、寒くて手がかじかんでいるんだけど、iPhoneまでかじかんで、フリーズしてる…。
画像08 8:35 浅草観音戒殺碑
 享和元年(1801)創業の駒形どせうを横目に駒形橋西詰交差点。交差点の一角に駒形堂が建っている。駒形堂は浅草寺の伽藍の1つで、境内の飛び地となっている。当地は浅草寺の本尊:聖観世音菩薩が隅田川から発見されたという聖地。そのため、元禄5年(1692)当地を魚鳥殺傷禁断の地とする法度が出され、翌元禄6年(1693)に記念碑が建てられた。その記念碑が駒形堂の境内にある浅草観音戒殺碑(あさくさかんのんかいさつひ)で、都指定有形文化財。駒形橋の横に駒形橋際公衆トイレがあるのでありがたい。
 駒形橋西詰交差点からは、浅草寺(せんそうじ)の参道と化した旧道の先に、雷門が見える。雷門は通称で、正式名称は風雷神門。その歴史は古く、天慶5年(942)に初めて建てられた。何度か焼けているけど、慶応元年(1865)の焼失後、昭和35年(1960)に松下電器の創業者:松下幸之助によって再建された。平成20年(2008)松下電器は社名を「パナソニック」に変更したけど、門内の提灯には「松下電器」と書かれている。
画像09 8:40 浅草寺雷門 外国人観光客・自撮り棒率多し
画像10 100近い商店が立ち並ぶ浅草寺仲見世
画像11 浅草神社(三社さま)拝殿
 ということで、浅草寺の歴史が古い。何と!推古36年(628)! 江戸浦(隅田川)で漁をしている檜前浜成・竹成兄弟の網に観音さまが! その地がさっき立ち寄った駒形堂で、郷司の土師真中知に見せたところ、聖観世音菩薩像であることを知り、その後出家。自宅を改め寺として、礼拝供養に生涯を捧げた、というのが浅草寺のはじまり。てっきり、徳川家康の関東転封後に創建されたと思っていたけど、ふ…古すぎる。伽藍の建物は東京大空襲で焼失したので新しいけど、歴史が古い分、文化財がいっぱい。浅草寺には観光で来たことがあるので、詳しくは地元の方にお任せします。(^-^;
 浅草寺の境内の奥に浅草(あさくさ)神社。神仏習合の名残だね。通称は三社さまで、祭礼の三社祭が有名。てっきり、下町の有名な神社である当社・神田神社(神田明神)・富岡八幡宮の3社を御輿でグルグル巡回するお祭りと思っていたけど、おらの勘違いでした…。(^-^; 当社の祭神は、土師真中知命・檜前浜成命・檜前武成命の3柱で、浅草寺草創期に関わる3者。土師真中知の死後、その嫡子が観世音菩薩の夢告を受け、3人を神として祀ったのが浅草神社のはじまり。本殿・幣殿・拝殿などの社殿が国指定重要文化財。慶安2年(1649)徳川家光によって建立されたもので、関東大震災や戦火を免れて残っているのが素晴らしい!
 25分の寄り道で先を進む。吾妻橋交差点から東武浅草駅を左に見て、国道6号「江戸通り」を進むと五叉路の言問(こととい)橋西交差点。左斜めの都道464号を進んで待乳山聖天(まつちやましょうでん)に寄り道。当山の寺号は本龍院。浅草寺の子院の1つだけど、何と!本山の浅草寺よりも古く、開山が推古3年(595)! 当山の山号「待乳山」は浅草神社の祭神の1柱:土師真中知と同じ「まつち」なので、当山が真中知の住居跡だったとか、何か関係があるんだろうね。
 境内に金網で保護されている銅造宝篋印塔。宝篋印塔って、だいたい石造物なので、銅造は珍しい。天明元年(1781)製で区指定有形文化財。
画像12 9:30 待乳山聖天の銅造宝篋印塔
画像13 お供え用の大根 三浦大根1本200円
 当山にはまだ珍しいものがある。大根(笑)。大根は夫婦和合・縁結び・子孫繁栄を表すもので、境内でお供え用の大根を売っている。入口に大根まつりの告知が掲げてあったけど、大根まつりは昭和49年(1974)から毎年正月7日に行われていて、三が日にお供えされた大根をお下がりとして、参詣者に風呂吹き大根を振る舞うそう。2,000食限定。当山は浅草名所(などころ)七福神の毘沙門天。深川で七福神巡りをしたことがあるけど、正月7日に浅草名所七福神を巡るのもイイね!
 一度旧道に戻って、吉野橋跡から暗渠になっている山谷堀公園をたどって、今戸神社。ご苦労なことです。(^-^; 源頼義義家父子が前九年の役に勝利した康平6年(1063)に石清水八幡を勧請したというので、当社は八幡宮なのね。
 拝殿にペアの招き猫が鎮座。当社は招き猫発祥の地で、祭神が応神天皇のほかに伊弉諾尊♥伊弉冉尊ということで、縁結びで有名みたい。そんなわけで、境内にはペアの招き猫が描かれた絵馬…ってゆーか、絵猫?がいっぱい。奉納するのに赤い糸で結ばれているので、よく考えられているな〜。
画像14 9:45 ペアの招き猫が鎮座する今戸神社拝殿
画像15 今戸焼発祥之地碑&沖田総司終焉之地碑
 吽形の狛犬の後ろに今戸焼発祥之地沖田総司終焉之地の凸凹コンビの碑が並んでいる。中山道の神田今川橋が今川焼発祥の地というので、この地には今戸焼というお菓子があったのか!と思ったら、土器の方の焼き物だった。(>_<) 肺の病に冒されていた沖田総司は、当社に住んでいた御典医松本良順宅で治療を受けていたそう。しかし、その甲斐なく、明治元年(1868)没。千駄ヶ谷に沖田総司逝去の地があるそうだけど、甲州道中から離れているようなので、当サイトの年表では当社が沖田総司終焉の地で落ち着きそう。(^-^;
 都道464号に戻り先を進む。名前のない交差点から路地に入ると、突き当たりに東禅寺。その正面に銅造地蔵菩薩坐像がド〜ンと鎮座。江戸六地蔵の1つで、宝永7年(1710)に建立されたもの。都指定有形文化財。
画像16 10:05 ド〜ンと江戸六地蔵@東禅寺
 境内の片隅に夫婦の銅像が並んでいる。麺麭祖と書かれたプレートがあるので、麺業界の功労者の像と思って写真を家に持ち帰ったら、何と!「麺麭」はパンのことで、明治2年(1869)に創業した木村屋總本店の創業者:木村安兵衛ブン夫妻像。しかし、一般にパン祖と呼ばれているのは江川英龍だろう。天保13年(1842)兵糧として自宅でパンを焼いているので、木村屋の創業よりも古い。しかし、木村屋はパン業界一番の老舗で、みんなが好きな「あんぱん」は安兵衛が発明したものなので、みんなで安兵衛を「あんぱんの父」と呼ぼうよ。\(^-^)/
画像17 日本麺麭製造祖木村安兵衛并室文子之像
画像18 ビルの隙間に駿馬塚
 東禅寺の帰り。向かう時は気がつかなかったけど、「南無馬頭観世音菩薩」の幟が旗めいている。何だろう?と思って、ビルと民家の間を入ると駿馬塚。案内板によると、康平年間(1058〜64)源義家が陸奥へ向かう際、この地で愛馬青海原が絶命したので葬った所だって。「江戸名所図会」には土饅頭型の塚の挿絵が載っているけど、今は石碑や石造五重塔の残骸などがあるだけ。しかし、覆屋が建てられ大事にされているね。
 都道464号に戻って先を進む。泪橋交差点で都道306号「明治通り」を過ぎると荒川区。すると、目の前に南千住駅前歩道橋がデ〜ン。だだっ広い隅田川貨物線の線路を越えると東京メトロ日比谷線南千住駅南口に出る。駅前のベンチで休憩がてら、日本橋の巻を終えようと思ったら、あれ?ベンチってないのね…ガクッ。
画像19 10:20 南千住駅前歩道橋を渡って南千住駅南口へ
 公衆トイレがあるのでありがたいけど、南千住駅周辺にはベンチがないので先へ進む…ってゆーか、駅の向かいに延命寺。この付近は東海道品川宿の鈴ヶ森と並ぶ小塚原の刑場があったところ。境内には、寛保元年(1741)刑死者の菩提を弔うために建てられた、デッカい小塚原の首切地蔵が鎮座。元はもっと南側に安置されていたそうだけど、隅田川線が明治29年(1896)に開業したので現在地に移された。区指定有形文化財。
画像20 10:25 小塚原の首切地蔵@延命寺
 JR常磐線をくぐると小塚原回向院。寛文7年(1667)刑死者の菩提を弔うために、本所回向院(現在の両国回向院)の別院として、常行堂を創建したのがはじまり。当山は小塚原の刑場跡として区指定史跡となっている。延命寺も刑場跡だけど、元は当山の境内で、常磐線の線路で分断されているため、昭和57年(1982)延命寺として独立したといういきさつがある。
画像21 10:30 本堂の壁に設置されている観臓記念碑
画像22 吉田松陰の墓 右手は頼三樹三郎の墓
 モダンな山門の横に吉展地蔵尊。吉展ちゃん誘拐殺人事件の遺族が奉納したお地蔵さま。本堂の壁に区登録史跡観臓記念碑。明和8年(1771)杉田玄白や前野良沢らが小塚原の刑場で刑死者の腑分けに立ち会い、その後の「解体新書」の翻訳につながる。大正11年(1922)腑分けの立ち会いを記念して観臓記念碑が建立された。しかし、戦災で破損。本堂の新築に伴い現在の場所に設置された。
 本堂の奥に進むと墓地。史跡エリアと一般墓地と分かれているので注意。史跡エリアには、安政の大獄や桜田門外の変などで刑死した歴史上の人物が葬られている。景岳橋本君碑が区登録有形文化財、安政の大獄の安政6年(1859)に斬首となった吉田松陰の墓・橋本左内の墓・頼三樹三郎の墓が区登録史跡となっている。その他にも、鼠小僧や高橋お伝などの墓がある。
 日本橋の巻を終えるために区切りの休憩したいな〜と思いながら、都道464号を進むと国道4号。あ、高架の下に鳥居が! とうとう素盞雄神社まで来ちゃった。(^-^; 延暦14年(795)素盞雄大神&飛鳥大神の二柱の神が降臨した奇岩を祀って創建したという古社。往時は牛頭天王(ごずてんのう)&飛鳥社と呼ばれていた。
画像23 10:50 素盞雄神社拝殿
 当社は歴史が古い分、文化財がいっぱい。まずは富士塚で区指定記念物・史跡。由緒で二柱の神が降臨したといわれる奇岩:瑞光石の周りに玉垣を築いて、元治元年(1864)に浅間(せんげん)神社を祀ったもの。鳥居の奥に溶岩を集めたミニ富士があるけど、鳥居の下に竹柵が置かれているので登れない。地味。
 続いて、境内の隅に集められた石仏群の右側3基が庚申塔群三基(寛永十三年銘他)。庚申塔は左から、延宝6年(1678)・寛文13年(1673)・文化8年(1811)のもの。区指定有形民族文化財。
画像24 富士塚の浅間神社&瑞光石
画像25 石仏群の右側に庚申塔群三基
画像26 ミニ千住大橋の向こうに松尾芭蕉の碑
 そして、千住といえば松尾芭蕉「おくのほそ道」の矢立初めの地。松尾芭蕉の碑が建つ。文政3年(1820)10月12日の芭蕉忌に建てられた。千住が矢立初めの地といっても、船に乗った芭蕉が千住に降り立ったのは、宿場のある向こう岸と思うけど、当社の祭神:素盞雄大神は、俳句じゃないけど、日本で初めて和歌を詠んだ神さまなので、句碑が建てられたのかな?(^-^; 区指定有形文化財。
 あ!素盞雄神社に文化財が多いからといって、ついフツーに散策しちゃった! サッサと日本橋の巻を〆なくちゃ。ということで、11:00日光道中日本橋の旅はこれでおしまい。これからご朱印いただかなくちゃ。ふぅ、もうヘロヘロ。当社はその他にも文化財はあるけど、詳しくは地元の方にお任せします。(^-^;

おまけ
所要時間 3時間50分
万歩計®の歩数 15,495歩
寄り道含めたGPSの距離 12.7km
とらマップ

日光街道ヘロヘロ旅 MENU Vol.01 千住宿
TOP
Copyright (C) 2015 TORAZOU, All Right Reserved.